あきらめなかったので(その三)

「天才」とか「努力家」という言葉も、安易に使うな、ということですよね。

 

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あきらめなかったので (その三)

 2018年ソチオリンピック冬季大会で羽生結弦選手が金メダル、宇野昌磨選手が銀メダルを獲得した。その会場で、NHKのチャンネルで解説の女性3人が

あきらめなかったのでメダルが取れた。

と解説した。が、彼女たちは、その言葉が失礼で、不躾で、傲慢であることに気付かないのか。私は憤りを感じた。金・銀メダル選手があきらめるなんてことを推測するその見識のなさ。選手は「どうしても勝つんだ」とかそういうプラス思考で試合に臨んでいることが分からないのか。「あきらめなかったので勝った」は本人が口にすべき言葉で、傍観者が言ってはいけない言葉なのだ。

そのような、選手の心が理解できない愚か者をリポーターに起用する関係者も不見識だ。

 解説者には技術の優劣・力量の差を詳しくしかも分かりやすく解説する知識がある人を選んでほしい。

 

音楽に夢中だった大学生の頃、「天才」という言葉を使うと不機嫌になる先輩がいました。その先輩曰く、「ジャコを天才と言っていいのは、ベースという楽器の特性、音楽理論を理解した人間だけだ。それを理解せずにジャコの天才性なんてわかるはずはない」。

そんな言葉を思い出しました。

 

Jaco Pastorius

Jaco Pastorius

 

 

たしかに、批評の世界では必要な観点です。実況中継の世界でそこまで要求するのは酷かとも思いますが、そのために解説者がいるわけで。

わたしも、「すごい!」「こんなに上手い歌手は聴いたことがない!」なんて言葉はいやだなあ、と思います。そんなことが言えるのは、あなたが大してこの世界について知らないだけでしょ、と。

 

少し話が脱線しますが、この「あきらめない」について、中学生の頃から考えていることがあります。

わたしの大好きなミュージシャン、岡村靖幸さんの名曲に「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」というのがありまして、その歌詞にこんなのがあります。

 

寂しくて悲しくてつらいことばかりならば

あきらめてかまわない

大事なことはそんなんじゃない

 

あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう

あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう

 
あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう

あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう

 

 

これ、真面目な人が「やりすぎちゃう」ことへの警告でしょうか。

この曲がわたしと同じ年代の人々の応援歌であると同時に、この一節が解毒剤として機能していたように思うのです。ああ、岡村ちゃんの「DATE」いきたいなあ。

 

そういえば、安西先生の『スラムダンク』も、岡村靖幸さんの曲も、両方ともバスケットの話なのがおもしろい。これは『当時、いかにバスケが流行していたかの証ですよね。