いまの時代は、好奇心を持続させるのにも一苦労なんです。
トンボ
トンボが前のトンボの尻に食いついて飛んでいるのをみかけたことはだれにもあるだろう。あれを何と呼ぶのだろうかと思っていたら「タンデム式につながった」というらしいことを寺田寅彦『柿の種』で教わった。そして寅彦の探求心が活発化する。この2匹1組のタンデムは、どこの池沼で発生し、どこを目指すのか、目的地の方角を何で察知するのか。それぞれの2匹は雌雄なのか、どのいうにして相手を選ぶのか、雌雄の数が同一でない場合は落伍者の運命はどうなるのか、と知りたがりの御隠居さながらである。
この好奇心を、私はいつ、どこで失くしてしまったのだろうか。
テラトラ先生は偉いと思いますよ。
でも、いまの時代は、この知的好奇心を持続させるのにもエネルギーが必要です。
というのも、ふと抱いたこのような素朴な疑問は、少し気の利いた検索方法を知っていれば、あっという間にインターネットで調べてしまうから。
たとえばこんな感じです。
多分、テラトラ先生の疑問も、うまく検索していって、外国語ができれば、大体のところまでは輪郭がつかめると思います。で、それで終わり。
考えてみればこれは不幸なことなのかもしれません。
ここまでインターネットが発達していなかった時代は、この調べ物をする、無駄とも感じられる長い時間の間に、あれやこれやと想像したり脱線したりしながら、仮説を立てていたはずです。
それが何か別の発明につながることもあったでしょう。
英単語の暗記もそう。
昔は辞書を引きながら、単語の成り立ちや、目当ての単語の周囲の単語も目に入って、その単語に関する情報を複眼的に取り入れていたはずです。
それが電子辞書で調べると、ピンポイントですぐにヒットする反面、その単語の知識は広がらず、何度も何度も引くハメに。
学習、研究も、昔とは違うアプローチが求められているのかもしれません。