『僕だけがいない街』は、もう一つの杜王町の話。

僕だけがいない街』を1巻から9巻まで一気に読んだ後、思わずこぼれた言葉。
「これってジョジョ第4部じゃん!」

誤解のないようにすぐ付け加えておくと、これはこの作品をけなしているのではない。
むしろ逆。
インスピレーションの源というか、換骨奪胎というか。
似た素材を使ったうまいリミックス、というのとは少し違うか。


もっとも、作者の三部けい荒木飛呂彦のアシスタントだったので、
意図的にオマージュを捧げた、というか無意識レベルでの刷り込みがあったのかもしれない。

2巻の帯の荒木飛呂彦の推薦がイカします。

「三部さん。JOJO第三部を手伝ってくれてありがとう。なつかしいね。」
荒木飛呂彦氏推薦!

…って、まったく推薦してないし。
メールの近況報告、なんてコメントもあったけど、ホントそのレベル。
まあ、その辺りが荒木氏らしいといえばらしくて、わたしは愛を感じてしまうのだけど。

2巻の巻末作者あとがきマンガによると、
この推薦文(?)、最初の荒木氏の原稿(?)では「三部」じゃなくて「四部」だったらしい。
それを三部氏自身がシャレになるよう「三部」に変えた、とか。
この巻末のマンガによると、荒木氏は非常に正義感の強い人らしい。
ジョジョを読んでると、それはなんか伝わるよね。


さて、ジョジョ第四部とこの作品の類似点、随所からうかがえる。

「日常の街に潜む殺人犯」という設定がまさにそうだし、
主人公たちが一度殺人犯を追い詰めるが犯人は逃げ切り、名前を変えて潜伏する、というのもそう。
主人公の少年が時間を何度も遡って犯行を食い止めようと努力する、ところや、
犯人に一度殺された少女と協力して犯人に近づいていったり…。
少しぎこちなく説明過多な台詞回しも似てる。


吉良吉影 → 川尻浩作  八木学 → 西園まなぶ

川尻早人 = 藤沼悟
杉本鈴美 = 雛月加代


もちろん、違うところもある。
一番の違いは、『僕だけがいない街』は「母親の物語」であること。
この作品は、息苦しいほどの母親の愛に満ちている。
特に9巻とかの藤沼佐知子の話とか、ちょっと読んでて苦しい。

一方で、ジョジョの第4部は「父親の物語」。
以前友人たちと酒を飲んでいる時に、
4部は吉良と仗助、川尻早人、億泰らの「父親」を巡る話であることを
小一時間説明してドン引きされたことがあった。
つまりは第4部はそれだけ「父親」の表象に満ちた物語であるということ。

主人公の協力者を正反対なのも面白い。

虹村億泰 = 小林賢也
岸辺露伴 = 澤田 真

もしも賢也が億泰だったら、この事件は絶対解決しなかっただろうなあ。


ある意味で、ジョジョ第四部へのオマージュ。

今気づいたけど、終わりの切なさは『時をかける少女』に似てるなあ。
でも、アイリという少女(の重要性、ファム・ファタール性)がいまひとつ伝わらなかったかなあ。
あと、8巻という長さもグッドでした。