『ばるぼら』、手塚治虫、(KADOKAWA 絶品コミック、2005年)

なぜ日本でこれだけ漫画が発達したのか? 
――それは日本以外の国に手塚治虫がいなかったからだ。
確かこれは関川夏央の『知識的大衆諸君、これもマンガだ!』*1
に書いてあったことだが、その通りなのだろう。
ばるぼら』は面白かった。
一話完結で毎回エンターテイメント性を失わず、
少々のお色気も振りかけられており、青年誌に連載されたであろう作品として
まあまあ成功しているのではないだろうか。*2
ばるぼら」とはミューズの化身で、才能のある芸術家のもとに寄生し、
作家の創作に力を与える少女のこと。
ただ、手塚の文学趣味なのか文学コンプレックスなのか、
ところどころ挿入される文学的引用が鼻についた。


同時に、講談社が編んだ『手塚治虫 恐怖短編集』を買ったが、
こちらは主に昭和40年代に書かれたものが中心だ。
手塚治虫に関しては、その作品量もさることながら、
ぼくが驚かされるのはその題材の多彩さだ。
『アトム』や『ブラック・ジャック』、
火の鳥』などの長期連載作品だけでなく、
それに匹敵するほど多くの短編作品が残されていることが
手塚の関心の多様さを示しているだろう。


また、手塚治虫の描く女の子は、独特のマンガ的な曲線で描かれており、
魅力的でとてもかわいい。
そして、この「かわいい女の子を描く」という行為は、
もはや漫画の世界で技術の一つとして(作者のウリの一つとして)
常識となっており、巨大なマーケットを生み出しているほどである。
これもまた、「手塚治虫の遺伝子」というべきか。


……と思ったが、小説でも、映画でも、主人公は美男美女なのであり、
手塚治虫に特有のことではないのだろう。
この仮定を先に進めるのには、もっと具体的な分析、
例えば「描線」や「目の大きさ」などの分析が必要だろう。
しかし、ぼくにはそれができるだけの能力はないし、また興味もないのである。



手塚治虫ではないが、同じときに
藤子不二雄Aの『ブラックユーモア短編集 B・Jブルース』も読んだ。
ただ、これは日本人の卑小さを執拗に強調する話ばかりで楽しめなかった。
海外の賭博場に行って、大儲けしたり大損したり…
…現地の人間に騙されたり、うまく出し抜いた気になったり…
…描かれた作品はどれも70年代前後。
海外旅行がまだまだ現実的でなかった時代に読まれるものとして、
読者に注意を喚起する意味で有益だったのかもしれないが、
いま読むものとしては、むしろオリエンタリズムを助長する害がある
とさえいえてしまうのではないか。
『笑うせえるすまん』などで、
藤子不二雄Aは一時期ブラック・ユーモア作家として人気が出たが、
一連の藤子・F・不二雄の、『SF(少し不思議)短編集』などを読むと、
人間に対して真に黒くて深い悪意を持っていたのは、
実は藤子・F・不二雄の方だったのではないか、
という気がしてしまうのである。    

ばるぼら (KADOKAWA絶品コミック)

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手塚治虫恐怖短編集 妄想の恐怖編 (プラチナコミックス)

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*1:もしくは四方田犬彦の『漫画原論』

*2:購入したのはいわゆるコンビニ漫画で、データには、「平成8年 角川文庫(上)(下)としか記されていないので詳しいことはわからない。」