『ジャズの黄金時代とアメリカの世紀』(続き)

以前、他のブログで昨日の内容をアップしたとき、

「なぜ他の都市ではなくニュー・オリンズでジャズが生まれたのか?」

・・・教えて?

というコメントをもらったので、これに対するコメントもアップしておく。

それは、この地域が「ルイジアナ」と呼ばれていたことに関係します。
つまり、この地は、まずスペイン人に「発見」され、
その後フランス「ルイ王」の統治下になりました。
ルイジアナ」という名称はこれに由来するものです
(ここら辺は受験世界史でおなじみのところですね)。


そして、白人が北アフリカの黒人をアメリカ大陸に連れてくるわけだけど、
ここで注意すべきは、白人には2種類に区別されることです。
つまり、アングロ=サクソン系のイギリスからの白人と、
上述のスペイン、フランス系の2種類です。


白人達は黒人達との混血児をつくり、
この混血人種はクレオールと呼ばれるわけですが、
ルイジアナ周辺のクレオールはスペイン、フランス系が多く、
この地域のクレオールは他の純粋な黒人達と比べて優遇され、
正規の教育を受けることが許されていました。
もちろん音楽教育も、西洋の伝統的クラシックを受けていたわけです。
他の地域ではクレオールも黒人も同じ扱いだったため、
西洋の音楽的教育を受けることは出来ませんでした。


ところが、南北戦争後の奴隷解放宣言が発布されると、
「南部の」白人達への屈折した憎悪は「北部人」への敵意とともに、
白人と同等の待遇を受けていたクレオールにも向けられます。
そしてクレオールへの不買運動などにより、
経済的に没落していき、黒人と同等の扱いを受けるようになったのです。

この没落したクレオールの「西洋の伝統的音楽知識」と、
純粋な黒人達の「リズム感、ブルースフィーリング」とが
合わさって、ニューオリンズ・ジャズが生まれた、ということになります。

……長々と書きましたが、
つまりは「媒介者としてのクレオール」の存在が
ニューオリンズでは許されていた、ということでしょうね。
その理由は、また他の資料をあたりたいと思います。