『ジャズの黄金時代とアメリカの世紀』、大和明、音楽之友社、一九九七年

ジャズ史の教科書である。
どちらかというと初心者向けに書かれている本のようだが、
決して雑な記述に陥らず、コンパクトによくまとまっている。
特に、1960年代までの説明は優れており、メモを取らずにこの本のまま使えるほどである。


全ての文化活動には歴史がある。


われわれが向き合うのは個々の作品かもしれないが、
それは無数の蓄積を背景として成立したものだ。
ここ数年、僕は音楽に限らずコンテクストを重視する方向にある。
これは、それまでの自分が個々の作品に「木を見て森を見ず」的に
接してきたことへの反省でもある。


コンテクストに注目すると、実にたくさんのことが浮かび上がってくる
(まさに浮かび上がってくる、という表現が適切だ)。

もちろん、ただコンテクストに注目するだけでは
表面的な意見しかもつことが出来ないだろう。
だが、コンテクストを考慮せずに個々の作品について考えたところで、
それは結果的に単なる幼稚な感想、印象批評で
終わってしまう危険性は回避できない。


本書は、ジャズ史のコンテクストを学ぶ上で有用な知識がコンパクトにまとまっている。


例えば、

なぜ他の都市ではなくニュー・オリンズでジャズが生まれたのか?

ニューオリンズ・ジャズとディキシーランド・ジャズの違い

シカゴ、カンザスシティ、そしてニューヨーク、ウェストコーストへ、とジャズが変遷していった理由

など、
とても勉強になった。


しかし、どうもハードバップ偏重なのが気になる。
なにしろ、70年代以降の記述はたった10ページで終わり。
これが4ビート至上主義者の感覚なのかもしれないが。
だが、この本に書いてあることは、
いってみれば「ジャズ史の常識」のようなものかもしれない。

著者経歴をみると、「ビリー・ホリデイの世界的な権威」とある。
では、もしかすると自伝の訳者も……と思い、
以前ブック・オフで100円で購入した『奇妙な果実』を手にとってみると、
なんと訳者は油井正一大橋巨泉だった。
大橋巨泉は、もはやジャズの評論はしないのだろうか。


ジャズの黄金時代とアメリカの世紀 (はじめて音楽と出会う本)

ジャズの黄金時代とアメリカの世紀 (はじめて音楽と出会う本)