啓蒙と啓発。

「啓蒙」と「啓発」、そんな使い分けがあったのですか。

強く意識したことはありませんでした。

啓蒙

「啓蒙」が避けられ「啓発」に変わったのはいつ頃からだろうか。「啓蒙」の「蒙」は「無知」の意味で、よい意味で用いられないためだという。もちろん今でも「啓蒙」という語を使う人もいる。

  

顧みれば私という一介の国語学徒(あるいは数理文献学の徒)は、今日では思い上がりの気味さえ覚える啓蒙を含めて社会貢献と呼ばれる活動に、あまり熱心ではなかった。

水谷静夫『曲がり角の日本語』)

 

曲り角の日本語 (岩波新書)

曲り角の日本語 (岩波新書)

 

 

 

桂米朝『落語と私』は)中学生向きの啓蒙書として書かれ、文体はやさしく語り口は具体的、気軽に読めるように工夫されているが、落語という話芸の本質をこれほど的確に把握し、鮮明に説いた本はざらにあるものではない。

向井敏『本のなかの本』)

 

落語と私 (文春文庫)

落語と私 (文春文庫)

 
本のなかの本

本のなかの本

 

 

 

4年後、お年寄りの暮らしとボランティア活動を紹介するドキュメンタリー映画『悪霊に直面して』を制作、上映して啓蒙に努めた。地道な努力により、訪問介護は次第に島民の支持を得た。

(森保裕 京都新聞 2010.8.5)

 

フスフレーガーは、ドイツ語で「足の悩みを解決する人」を意味する。ドイツ式フットケアの啓蒙活動、技術認定、独立支援を目的とするNPO法人「フスフレーゲマイスター協会」が認定する資格だ。

(堀田真由美記者 京都新聞 2010.10.3)

  

 

アーネスト・F/フェノロサといえば、一八七八年に来日し、日本美術を研究、その啓蒙と振興に大きな足跡を残した人物である。

(福家俊彦 京都新聞 2010.9.26)

 

 

小沢昭一さんはかっこ付きです。

 

実は私は、講談という伝統的な話芸を彼(注 一番年上の高校生の孫)に見せておきたい、巷間に残る一つの文化を伝えておきたい、というような〝啓蒙心″はあまりないのです。

小沢昭一『老いらくの花』文春文庫)

老いらくの花 (文春文庫)

老いらくの花 (文春文庫)

 

 

 

 「啓発」の例をみましょう。琵琶湖の水泳場でプレジャーボートの迷惑行為が増えているようです。特に水上バイクは遊泳区域内にも侵入して危険な場面もあるそうです。そこで県職員が取り締まるのですが、イタチごっこで一向にマナーが改まらないそうです。それで

 監視艇でのパトロールや、水上バイク利用者への啓発運動を強化。

京都新聞2005年9月2日)

 

というのです。しかし、ルール違反を平気で繰り返す者は明らかに無知なので、啓発運動をやめて、「あなたにはこれから啓蒙運動に切り替えます」なんてのはどうでしょうか。厚顔無恥な連中ですからそれも効き目がないかもしれませんがね。冗談はともかく、規則を守らない人がいるのは困ったことです。

「蒙を開く」という言い方もあります。

ドビュッシーの知られざる一面に蒙を開いてくれた、彼のことをもっとよく知ることができたという感想は、私がまさに目指していたところだったので嬉しかった。

青柳いづみこ『図書』2010.3 )

 

 啓蒙について次のような説明がありました。

「啓蒙とは、人間が自分自身に責めのある未成年状態から抜け出ることである」。カントは『啓蒙とは何か』と題された詳論の中でそう書いています。18世紀の末のドイツの哲学者にとって、この未青年状態からの脱出は、何よりも先ず、個人が他人の権威に頼ることなく、勇気を持って理性を使用することによって果たされるべきことでした。

王寺賢太

 

啓蒙とはなにか:忘却された〈光〉の哲学

啓蒙とはなにか:忘却された〈光〉の哲学

 
永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)

永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 次は高得点獲得を目指すTOEIC対策の本にありました。

この本は損得抜きで、純粋にビジネスパーソンを啓蒙したいと思って書いたものなのでうれしいです。実際、ビジネスパーソンに多少とも影響を与えているようで、既に様々なメールをいただいています。

(中村澄子 『時間のないあなたに!』2012) 

1日1分レッスン! TOEIC Test―時間のないあなたに!即効250点up (祥伝社黄金文庫)

1日1分レッスン! TOEIC Test―時間のないあなたに!即効250点up (祥伝社黄金文庫)

 

 

こういうノウハウ伝授を啓蒙といえるのでしょうか。それにしても「純粋にビジネスパーソンを啓蒙したい」とはスゴイですね。最後はその極め付けで「啓蒙」は幕としましょう。

 

「全力で世論を啓蒙し、憲法改正の正しい理解を国民にしっかり植え付け、国民投票が実現した時には絶対に過半数を取るのが一番の目標だ」

自民党憲法改正推進本部長代理 古谷啓司)(京都新聞2015.5.4)

 

…怖いなア。

 

わたしにとって、「啓蒙」は18世紀の啓蒙主義に由来する言葉として、差別的な意味を感じたことは一度もありませんけどね。で、啓発は「自己啓発セミナー」というような積極的、能動的なイメージです。

うんそうですね、

「啓蒙」…静的、受動的に展開、書物・文化的・教養主義

「啓発」…動的、能動的なアクション、セッション・政治運動・法的な取り締まり

 というイメージです。

 

啓蒙とは英語では「enlightenment」、文字通り「暗闇(=無知)照らす」で、この言葉には、「光=善、暗闇=悪」という西洋文化の価値観が色濃く反映されています。旧約聖書でも、神が天と地の後に創ったのが光だったり、ダンテの『神曲』でも天国が「光」と表現されていたことなどが連想されます。

そう考えると、光の芸術である映画は、単にエンターテインメントというだけでなく、西洋人にとってはかなり神聖な芸術である、と認識されていると思います、無意識下かもしれませんが。よく言われていることですが、映画を発明したのがフランスの「リュミエール兄弟」であるのも興味深い。

リュミエール」って、フランス語で「光」の意味ですよ。これ、ちょっと出来すぎじゃないですか(ドイツ語なら「Aufklärung」です。)。

いずれにしても、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』のように闇、暗いものにも美を見出したり、汚いものにも神様がいるとする多神教の日本には、西洋は少し違う文化である、ということを再確認しますよね、「光と闇」に関しては。

ああそうか、だから「啓蒙」という言葉に噛み付いたのかな、なんて思いつきを残しておきます。

一方で、多神教といえばギリシアローマ神話です。ギリシアにおいて「闇」はどう扱われていたのか、ということについては、またいつか考えましょう。

最後に、もはや諺のレベルにまで人口に膾炙したニーチェの言葉を。

「深淵」=「闇」、そして書かれたのが19世紀末のヨーロッパと考えると、この言葉は想像力を刺激します。

 

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを覗いているのだ。(『善悪の彼岸,146』)

"Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein."
Friedrich Nietzsche, "Jenseits von Gut und Böse")

 

善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫)

善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫)