『ブルーノート再入門 モダン・ジャズの軌跡』、行方均編、朝日文庫、二〇〇〇年(初版は九四年、径書房)

贅沢な本だ。


研究書ならば「論文集」ということになるのだろうが、
本書は各ジャズ批評家達の自分の得意分野についての書き物によって構成されている。


油井正一が戦中にひっそりと輸入されたブルーノートのレコードについて書き、
ピーター・バラカンは愛するオルガン・ジャズについて書き、
中山康樹は若き頃の道頓堀のジャズ喫茶での強烈なジャズ体験を書き、
ラズウェル細木はジャケットについて書き…という具合。


中でも、アルフレッド・ライオンのバイオグラフィーを中心に
まとめられている「ブルーノート小史」(行方均)と、
マイケル・カスクーナの「ルディ・ヴァン・ゲルダー物語」はとても勉強になった
(どうでもいいことだが、マイケル・カスクーナの肩書は
 「ブルーノート発掘男」となっている。
 実際その通りなのだろうが、それでいいのか?)。


他にも、小林径の「アリゲイター・ブーガルーに始まる」というエッセイが
入っているのも嬉しい。
だが、一番興味深かったのは花房浩一の「ブルーノート・フロム・ロンドン」だ。
この文章により、なぜ90年代にイギリスでジャズが流行ったのかが理解できた。

少し前の韓国の日本文化締め出しのように、アメリカでジャズが全盛期だったとき、
イギリスは外貨獲得のためにその輸入を禁止していたのだった。
イギリスで音楽の「鎖国」が解かれるのがビートルズのヒットによってで、
その頃には既にジャズは全盛期を過ぎてしまっており、
最良の時期にジャズと出会えなかった大部分のイギリス人にとって、
長い間ジャズとは、アドルノの批判の対象でもあった大衆文化としての
白人スイング・ジャズを指していた。
こうして英国で長い間無視されていた音楽を発掘したのが、
トーキング・ラウドの総帥であるジャイルス・ピーターソン達ということらしい。


他の批評家達について述べておく。

寺島靖国がどうしようもないのはいつものことだから別段腹も立たないが、
今回、後藤雅洋のエッセイを読んで、あまりのひどさに愕然とした。
ジャズを聴き始めた時期に、『ジャズの名演・名盤』(講談社現代新書)を読み、
頷けるところがあったので一時期教科書代わりに傍らに置いていたのだが、
こんなに頭が固く、視野狭窄な人間だとは思わなかった。

一番ひどい箇所は、行方均、中山康樹後藤雅洋ラズウェル細木の対談で、
後藤が

「お前はJ.R.モンテローズとハービー・ニコルズのオリジナル盤が
 60年代に全然手に入らないの知ってるの? 
 そういう現場を知らない人間が何言っても白々しいんだよ」

と行方に詰め寄るところ。
後藤雅洋、最悪。
中山康樹も呆れて相手にしていない。


あと、柴崎研二の「ブルーノート・コレクション入門」でコレクター道を知った。


・オリジナル盤の中でも、「溝あり」と「溝なし」があり、溝がある方が音がいい気がする。


・ブラウニーのオリジナル盤はマリン・ブルーの色が濃く、文字の発色も違う。


などなど。
恐らく、彼らが集めているものと僕が聴いているものは何か別のものだろう。
だが、ここまでくれば違う世界のことと割り切れる。
一番タチの悪いのは後藤雅洋みたいなタイプだ。


新主流派」という名前を作ったのは岩波洋三らしい。


ブルーノート再入門―モダン・ジャズの軌跡 (朝日文庫)

ブルーノート再入門―モダン・ジャズの軌跡 (朝日文庫)