「無職」という状態は別に悪くないと思いますが、たしかに呼称は少し考えた方がいいかもしれませんね。
職業欄の「無職」は職業の一つなのか
新聞の投稿欄は匿名は原則的に採用されません。そして職業もかならず添えられる。退職して職についていない人は「無職」となります。これについて「無職とは無粋な 適当な呼称考えて」という投書が載り、さらに、これをめぐって、賛否両論がありました。
「元○○」という書き方ですと、昔の肩書きを捨てることができない、さみしい心の人だなあと思ってしまいます。
(会社員26歳 女性)(1989/7/8朝日新聞)
老齢者の「無職」は、功成り名遂げた人の尊称、自分のやりたいことを無限に、自由にやれる、特権階級の職業名と考えると、気持ちは大海のようになりありがたさを感じます。
(投稿 小沢充世 無職 66歳 男性)
ぬれ落葉”とやらいわれる男性も多い中、立派に家事をこなしていらっしゃる由、感服し尊敬致します。そこで、堂々と「主夫」とご記入になったらいかがでしょうか。
(ピアノ教師32歳 女性)
意外に反響がおおきく、掲載紙もめずらしくコラムで取り上げコメントを付けました。代替語で最も多かったのが「主夫」でした。それ以外の呼称を紹介しています。
家主、家事従事、家事手伝い、雑業、フリーマッチ、ホームマスター、ハウスバンド、家夫、家長、自活業、まめ職、自耕職、家中職、自由業、アルバー職、自個職、家事担当者、家事助っ人、家業、家庭業、余生業、趣味業、自適業、エイジレス、悠々業、老童業、老働業、相談業、自悠業。
これほど多くの代案が提案されたのは「無職」がいかに好まれていないかを物語っています。
無職とはイヤな言葉です。何もしていない、働いていない、社会の役に立っていない、そんな自己嫌悪と、何となく周囲から後ろ指をさされるような気持ちは経験した人でなければ理解できないでしょう。この言葉の持つひびきが、他人に冷視されるイメージにつながっているようです。つまり差別語に近いのではないでしょうか。
(自由業62歳 男性)
父の口癖が「早く引退したい!」「主夫になりたい!」である家に育ったわたしにとって、「男が働かないこと」は悪ではありません。わたしも主夫になりたいくらい。
ここだけの話、結婚時点ではわたしは無職でした。
今から考えると妻の両親はよくわたしのことを許してくれたなあ、と思いますし、結婚パーティの司会を任された後輩は私の紹介に苦労しただろうなあ、と思います。これは今でも飲み会での鉄板のネタです。
そういえば、村上春樹がアメリカで生活していたとき、知人に妻を紹介するときに困ったそうです。「主婦」というのは向こうでは通用しないとか。なので、執筆を手伝っている、とか、写真を撮っている、とか説明するけど、それでは納得しなくて、「わたしの作家業をマネジメントしてくれているのだ」と言って、やっと納得するとか。
うろ覚えのエピソードですが、アイデンティティの確立、個を大事にするアメリカならではの話として語られていたような。
まあ、でもアメリカ人の気持ちもわかりますよ。
「無職」という言葉には、差別的な意味が響いているようにも聞こえるし、何より周囲の人が不安なんです。「え? この人、何してる人?」って。
なので、周囲の人を安心させるという意味でも、職業は、なんでもいいから何か名乗った方がいいのかな、なんて考えています。引きこもりの人、ニートの人が半ば自虐的に名乗る「自宅警備員」なんてのは「?」ですが。
かくいううわたしも、無職時代は「いやー、いま無職なんですよ」と話して、相手の反応を楽しんでいました。
そういうことを考えると、社会で生きる、というのはわずらわしいものです。
いや、安倍謹也風に言うなら「世間」でしょうか。