無職の意味

前回の続きです。

 

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無職の意味

前回の「職業欄の「無職」は職業の一つなのか」の続きです。あの意見を読んでテレビの番組を思い出しました。伊豆の漁港網代では毎朝とれたアジをすぐに開いて、背開きにしたアジを浜風に干す。太陽と風がうまい干物を作る。けれども、一面に干された魚を、猫、カモメ、カラスが狙う。それを見張る、長年海で働いて引退した老漁師。追っ払っても追っ払っても、猫が1枚掠め取る。カモメが急襲する。カラスが老漁師をからかうようにまた1枚かすめとって行く。生乾きのアジを口にくわえた猫、カモメ、カラスが誇らしげに去っていく。それを老人がじっと見ている。テレビ画面にその後ろ姿がしばらく続く・・・ 。

TV番組でその被害を食い止める企画した。その道の専門家が、干物の棚のまわりにピアノ線を張りめぐらした。そのピアノ線にキラキラ光を反射するものや鳥の死骸をつるす。カモメもカラスも近くまでは様子を伺いに来るが、ピアノ線を突破してまでアジの開きを取りに来ることができない。テレビの企画は大成功!

けれどそのために、引退した老漁師はすることがなくなってしまった。見張りの椅子に座ったまま。カモメもカラスも近くまでくるがピアノ線をくぐることができない。老漁師もすることがない。ぼーと海を見つめている漁師。

人にはそれぞれの役割がある。他の人にはできない仕事がある。網代の引退した老漁師の役割はアジの干物を見張ることだった。干してあるアジは何百枚何千枚もあるのだから猫やカモメ、カラスに取られてもたかが知れている。カモメに干物を取られることなど漁師なら誰でも承知しているし計算済のことだろう。

 長年海に出て子供を育てた老漁師は大海原では自分の力が衰えたことを自覚する。ある日年老いてもう沖の漁場に行けない漁師。魚を獲る技と家族を支えてきたそのプライドを皆が大切に思ってくれていることが分かるからこそ、次の自分の仕事に誇りをもてる。老漁師は猫を追うことができる。鳥を追っ払うことができる。そこのところをまったく理解できない能天気なTVスタッフがピアノ線を張った。愚かなことだ。 

 

 ドラム缶 叩いて梨の 烏番   八田幸夫

 

3世帯家族は、こういう意味を伝えられるところもメリットかもしれませんね。