「嘘はついてない」ところがたちが悪い。
ことばのオブラート
小津安二郎監督『おはよう』にこんな場面があります。分譲一戸建ての並ぶ住宅地に押し売りが、おなじみのタワシ、ゴム紐、鉛筆を売りに来ます。みんな何とか買わずに追い返します。その後で別の男が防犯ベルを売りに現れます。今も押し売りが来て困ってました、と言う主婦にベル売りが「警視庁方面からも大変これは奨励されていまして」など功名な口上を述べます。
面白いのはこの「警視庁方面から」です。テレビでも少し前に「消防署の方から来ました」と言って消火器を売りつけるセールスの被害がとりあげられていました。「消防署」とは言わないで「消防署の方から」という言い方をするので気を付けましょうと呼び掛けていました。
『おはよう』は1959年(昭和34年)ですから、その頃からこの手の詐欺はあったのですね。ついでながら押し売りは殿山泰司で防犯ベル売りは佐竹明夫です。映画で少し後のシーンではこの二人が居酒屋で飲んでいるので手の込んだ詐欺商売だと分かるようになっています。
このような人をかついで惑わす物言いの例はいくつもあります。俳人の 坪内稔典さんは坪内逍遥や二葉亭四迷らの講義をすると学生たちは興味を失うそうです。そこで、
これを持ち出すと学生たちが一気に興味を示すそうです。目の前のこの先生があの坪内逍遥の孫だって! とうわけです。もちろん稔典先生は「確信犯」ですからこれを楽しんでいるのです。「のような」が豆鉄砲のように忍び込ませてあります。
高校生の娘さんが通う高校を母親が次のように言っています。
公立校で恵まれた施設もなく、ナイター設備がないので、練習は手作りの照明の下で、ボールを追うそうです。進学熱が高い学校で、練習は7時間の授業終了後の夕方5時からの限られた時間です。
(投稿 上辻容子 京都新聞)
高いのは進学率ではなく、進学熱です。してやられたりとニヤとしてしまいました。
意識してトレーニングをすれば、言葉を尽くして状況を正確に伝えようとすることはできるようになります。
ただ、そこから意識的に言葉を減らして簡潔に伝えたり、相手に合わせて伝わりやすいようにその都度表現を変えるのは難しい。
そして、伝えなければいけないけれど、いまそのまま伝えてしまったら大事になりそうな情報を、各方面に影響が内容に伝える技術はさらに難しい。こういう技術が自由に、意識的に使えるようになれば、言葉の遣い方も一流と言えるでしょう。
…まあ、そんな技術は使わないのが一番ですが。古代ギリシアのソフィストはこういう技術に秀でた人々だったのでしょう。
ああ、森見登美彦さんが比喩的に語っている「京都大学詭弁論部」は、こういう技術を日々研鑽しているのだと思います。