ヒラメの「エンガワ」、どう伝えますか?

縁側  

「縁側」とは、世間からの、やって来てもやって来なくてもよいような人がやって来て、そこでお茶を飲み縁をつくっていったから「縁側」というのである、と、藤原新也著『東京漂流』にある。

 

東京漂流 (朝日文庫)

東京漂流 (朝日文庫)

 

 

だが、今回は、懐かしい陽のあたる縁側の話ではなく、ヒラメのエンガワの話。 

 

沢木耕太郎さんが二十代の頃、神田の鮨屋「鶴八」で、店主が付け台に透明感のない白い刺身をおいた。「これはなんですか」と沢木さんは訊ねた。店の主人は「これは平目のエンガワといいましてね、ちょっと食感が違っていて、なかなか悪くないものなんですよ」と。場数のたりない若造に、嬉しそうに、さりげなく教えてくれた。それ以降、その店が鮨屋を評価する物差しの基準になった。知らないことは恥ずかしがらずに「真っすぐ」訊ねる。自分も、訊ねられたらどんなことであれ軽蔑せずにきちんと答える、と沢木さんは書いている。

ポーカー・フェース (新潮文庫)

ポーカー・フェース (新潮文庫)

 

 

これ、いい話ですね。

この鶴八、ここのことでしょうか。

 

 

知らないことは恥ずかしがらずに「真っすぐ」訊ねる。

自分も、訊ねられたらどんなことであれ軽蔑せずにきちんと答える。

 

これはわたしも「問う/問われた」ときの基準にしたいと思いました。 

大将の答えもいいですね。権威主義的に押し付けるでなく、いま楽しむのに必要な情報だけを的確に、そしてさりげなく伝えられてます。

相手によって伝え方、伝える情報の量を変えるのは、そのものについて確固とした知がなければできません。

先日の記事でも書きましたが、知識はしょせん「知ってるか知らないか」でしかありません。大事なのは、それをどう活かすか。

 

 

いい話を知りました。