難民ら
鴨下信一著『昭和のことば』には、
「難民らがテント村を出て村に押しかけ…」
のニュースを聞いて
「いきなり頭を殴られたような気がした」
とある。その理由は、「難民ら」は「お前ら」「貴様ら」のように乱暴な言い方だからと述べている。私もそう理解していた。
ところが、『岩波国語辞典』には「親しみの気持ちをあらわすことがある」とあり、用例の「子供ら」がこれにあたるらしい。ただし、「見下しの気持ちを表すことがある」と注記している。
『新明解』の3版をみると、見下しの気持ちを強くだし
「自分より目上の人に関しては言わない」とある。
さて、気になるのは、鴨下信一氏は上掲書、で次のように書いている。
敗戦のショックで茫然自失の日本人を立ち直らせた古橋広之進ら水泳選手がフジヤマのトビウオと呼ばれ、東京オリンピックの記録映画(市川崑監督)で巨大な富士山を背景に聖火ランナーが走るカットがなつかしい。
これは、芸能人、作家、スポーツ選手、芸術家たちには無冠で呼び捨てにするのが慣用であるから、それを踏襲したまでであろう。
大晦日の『紅白歌合戦』紅組の司会を務める綾瀬はるかは、「方たち」を使って次のように抱負所感を述べた。
≪皆さんにとって、よい年越しとなりますように。アーティストの方たちと楽しく、温かく、元気が湧いてくる「紅白」 にしたいと思います。≫
(『週刊トマト&テレビ京都』)