『本読みの「本」知らず』、安原顕、双葉社、2002年

書評本が好きだ。
まず、「本の紹介」という性質上、自分の見識が拡げられる、というのがひとつ。
次に、書評者は限られた文字数で読者の知的好奇心を喚起しなければならないので、
コンパクトに紹介されている本の読みどころがつかめる、というのもひとつ。
また、必ずしも書評者は紹介する本の分野の専門家ではないので、
大抵、書評は門外漢にもわかりやすく書いてあって肩の凝らない読み物である、というのもまたひとつ。
そして、他人の目を通して自分の知識を体系付ける、というと大げさだが、
自分の知識や興味・関心が、世間とどれくらい同調しているか、ということが確認できるのも大きい
(この意味で、ぼくは高橋源一郎に深く共感する。その小説はよくわからない、というのが正直なところなんだけど)。


だが、何より書評を読むのが好きな理由は、
映画好きが映画について話をするのを好むように、
ぼくが本について語られているのが好きなせいだろう。


なので、書評本一般に関する淡い期待を抱きながら読んだのだが…
得たのは、上に挙げたこと以上に、
天才ヤスケンの「業の深さ」に対する悲しさ、というか一種の哀れみの感情が多かった。
1976年生まれの僕としては、
安原顕は同時代人というよりも後からその足跡を辿っていく人物であって、
その端緒となるはずだったのだが…ちょっと失望してしまった。


ただ、もちろん書評本として面白かったものもあり、それは以下の通り。

『緑の資本論』(中沢新一集英社
73歳の老作曲家シュトックハウゼンを襲った災難話。
2000年9月16日、彼は「ハンブルク音楽祭」(目玉は彼の連続演奏会)のために現地に赴き、
ホテルで記者会見をした。その折、シュルツ記者にニューヨークの「9・11テロ事件」について問われ、
「あれはアートの最大の作品、ルシファー(光の王子)の行う戦争のアート、破壊のアート…」と答えたが、
「いま言ったことは誤解を招くのでオフレコにしてください」と頼む。
ところが、その発言を引き出すことが目的だったシュルツ記者は、前後の文脈は周到にカットし、
「北ドイツラジオ」で、「あれはアートの最大の作品…」発言を流したため、
4回にわたる連続演奏会はただちにキャンセルされ、数時間後には「音楽祭」そのものも中止に。
老作曲家は「記者会見を再度開いてほしい」と懇願するが聞き入れられず
(後に主催者側代表が市会議員に立候補していたためと判明)、
老作曲家はハンブルク市を追い出された。


中沢新一は書く。
「彼の(一部の)発言は、まさしくマスコミ自身が語りたい内容だった」が、
それはあまりに危険なため、芸術家の口を借りて言わせ、その責任も彼に押し付けたのだと。

『陰謀の世界史』(海野弘文藝春秋


ブッシュは、2世もそうだが、エリートの秘密結社「スカル&ボーンズ」に入会。
この集会所では棺桶の中に入り、秘密の性体験を告白する儀式もあるようだ。
ここに入るとは、エリートの<インナー・サークル>選ばれ、社会の上層部への道も開け、
この結社は多くのCIA幹部を世に送り出し、
ブッシュがCIA長官になったのもこのコネクションが関係していた。


ブッシュ家は14世紀まで遡る古い家柄、母方のウォーカー家も名門である。
ウォーカーはNYで大きな投資銀行を創設、彼はヒトラー支持者で、
1924年から36年までヒトラーに資金を送り続け、それをプレスコット・ブッシュが手伝っていた。
ナチス・ドイツに巨額の投資をし、5000万ドルのドイツ国債アメリカで売りもした。

また、

柳瀬尚紀によれば、『ゲーデルエッシャー・バッハ』は10万部、
フィネガンズ・ウェイク』は5万部売れているらしい。

というのはちょっとうれしい話だ。
中山康樹の『ジャズメンとの約束』や、綾戸智恵(絵)をほめていたりもした。

ここで、Wikiより「安原顕」の項目を引いておこう。

bk1のサイトには、「ヤスケンの編集長日記」を書いていたが、2002年10月29日の日記で、
自ら肺ガンであること、余命が1ヶ月と医者から告げられたことを報告した。
その2年半前に肺ガンと診断され、手術を強く薦められたが拒否。
命ある限り自宅で仕事をしたいので、自宅に酸素ボンベを設置していたという。
「編集長日記」は、死去の2ヶ月前の11月28日まで続いた。
その後は入院生活を余儀なくされ、握力がなくなりワープロが打てなくなったため、
「音声入力ソフト」や「口述筆記」を使ってまで原稿を書こうとした。
なお、没後に問題となった、村上春樹の生原稿を個人的な理由によって、
無断で持ち出して売却した事件は、職業モラルにも法にも明らかに反していて多くのメディアなどに強く批判され、
安原の評価を大きく落とした。
また、安原によって原稿を無断で持ち出され売却された作家は村上ひとりではない。

後半の生原稿云々は置いておいて、肺ガンのカミングアウトの日付(10/29)に注目しよう。
本書あとがきの日付、10/28はその前日。
そう考えると、この本に作者が込めた決意のようなものが感じられる。
だが、それはそれとして、ぼくが感じたのは
書評としては少々バランスを崩しているかにみえる姿勢だったのである。

本読みの「本」知らず

本読みの「本」知らず