いわずと知れた、賭博小説、麻雀小説の金字塔である。
この小説の魅力は、
「「三元役金縛り」「十枚爆弾」というイカサマ技を使って命を賭ける博徒の世界」と、
「自意識の牢獄に捕らわれた一人の男の内面の世界」という
二つの世界を描いているところだろう。
前者の世界は、
…あンたはきっと、誰とでも五分に対しなければならないと思ってるンでしょう。
あンたは小さくても独立国でいたいのね。
……この世界の人間関係には、ボスと、奴隷と、敵と、この三つしかないのよ。
相棒ってのは、どちらかがおヒキ(手下)の関係よ。……(一)
一番辛いことは、誰にも愛されないということだ、とまず実感し、
同時に一番激しい生き方は、誰にも馴れずに生きることではあるまいかと考えた…
この女と、死んだお袋と、この二人には迷惑をかけたってかまわねえのさ。
わかるかい。……手前っちは、家つき食つき保険つきの一生を人生だと
思っていやがるんだろうが、その保険のおかげで、
この世が手前のものか他人のものか、この女が自分の女か他人の女か、
全てはっきりしなくなっているんだろう。
手前等にできることは長生きだけだ。
糞ォたれて我慢して生きてくんだ。
ざまァみやがれ、この生まれぞこない野郎(一)
といったものであり、このヤクザな世界観に憧れない男はいないだろう。
実際、麻雀小説・大衆小説として人気を博したのはこの世界だと思うのだが、
この年になって読んだとき、私が強い印象を受けたのはもうひとつの世界、
主人公「坊や哲」の沈んだ内面世界の方である。
…最初の登楼のときに、私は、失策を演じた。
どういう種類の失策か、ここではくどくどと書かない。
失策自体は、ありがちな、女がひとつ笑って、
それですんでしまうようなものであったろう。
だが私の心に、それは重く残った。
その後も虚勢を張って悪友とともに通ってはいたが、
この巷で私は一度も伸び伸びとした気分になれなかった。大体、内向型で絶えずいろいろなことをうじうじと苦にし、
満足に他人と口を利くことも出来ないような子であった。
アッと驚くような犯罪をやってしまう人間は、
平常おとなしい陰気なタイプが多いという。
私は本質的には犯罪者型人間である。何故、ムッと押し黙ったきりになってしまうのか。
ひとつの理由は、自分と他者の対比がいつもスムーズにいかない
という点にあるらしい。
自分を、或いは他人を、こういうものときめこむことが出来ない。
自分は人間である、相手は犬である、ゆえに自分の方が優れている、
或いは、自分の方が劣っている、こういう具合に整理することが出来ない。
これでは積極的な対応策が何ひとつ生まれてこない。
ムッとなった形にまとまってはいるが、実はムッともなっていないので、
こういうとき消え去りたい気持が昂じる。
年少の私の体験の中で、こういう苦を解消させてくれた
唯一の場所は賭博場だった。……(一)
…私が恐縮し、卑屈になり、重罪人のような心境になるのは、
「かくあらねばならぬ生」という腹の中の糞の塊に対してであって、
私自身を含めた現世の人間に対しては、
単に喰うか喰われるかの関係でしかないと思っている。
表面にその二つがごっちゃになって出るだけである。だから私は、十代の未熟期をのぞいて、女を深く愛したことはない。
いつも不幸だが、不幸であることを不服に思ったこともない。…
…それから麻雀稼業から足を洗ったが、しかし、私は、
麻雀ゴロの頃も不幸、足を洗って以後現在までもずっと不幸である。
同じように不幸だがあの頃は不幸が当然と思っていた。
現在の不幸には不服がある。それだけ悪い。
あるいは、それは私が若かったからかもしれない。
若かったから、何にも隷属しない形で辛うじて生きられたのだろう。
現在はがんじがらめに隷属させられている。
そのうえ、隷属しなければ生きられないという常識まで
身につけている。(四)
…私は自分で職場をみつけ、転々としながらも、
おどろくほど頓馬に張りつめた気持で勤めていたのである。
たとえば、ある職場では、同僚といっさい口を利かず、笑いもしなかった。
ある職場では、女事務員より一時間早く出社して、一人で掃除をしていた。
ある職場では、夜半まで他の係の計算を手伝ったりした。
しかし、依然として、他人と馴れ合いで生きることを
本当には会得していなかったので、そうした職場でバランスをとるには、
ひたすら自分に苦役を課すか、又は精一杯お芝居をするしか方法がなかった。私はまもなく、愛されるための演技をいろいろ案出した。
同僚や先輩が私に気を許すためには、
①まず自分が皆から軽蔑されるための欠点をひとつ目立たせねばならぬ。
②同僚先輩と仕事内容、個性、得意技などが抵触することを注意深く避けねばならぬ。
③誰にもわかりやすい情感、たとえば友情、義理、せつなさ、などについて
話し合える男、つまり気のいい男である必要がある。
④しかし、一転して、わかりにくいユニークな特徴をもたねばならぬ。どうも、さっぱり麻雀小説らしくないおしゃべりが止まらないが、
この四条件ぐらいを実行できれば、比較的、多くの社員から愛されるものである。
私はこうして気を許してきた先輩上役を
喰い殺そうと身構えていた。…(四)
病的なモノローグだ。
麻雀の話にいきなり挿入されるこれらの独白には、
恐らく阿佐田哲也自身の心情が少なからず投影されているのであろう。
話の筋には無関係なこの独白は、
しかし、一人の人間が社会と関係をもとうとするとき、程度の差こそあれ、
誰でもこのような自意識の牢獄を通過するものだ
(四巻のこの坊や哲の独白は、漫画『天』の16〜18巻の「ひろゆき」の
独白と並んで私の好きなシーンである)。
この小説が世代を超えて愛されつづける理由は、
前四冊のこの物語に通底する思想が、
ギャンブルに付きまとう「人間の破滅願望」だとか「金銭への欲望」などという
ありきたりの次元のものでなく、
人が人の間で生きていくことへの冷徹な観察に基づいているからであろう。
週刊マガジンの連載の方は読んだことがないが、形はどうであれ、
語り継がれていくことには賛成である。
最後に、四冊の解説(四冊とも異なる)は、
どれも阿佐田哲也(または色川武大)の人となりやこの小説の面白さについて
語られているだけで、この初出がどこでいつ頃のものなのか記されていない。
戦後日本のゴタゴタの世界が舞台なのだから、データはきちんと付けて欲しい。
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