古本屋街と図書館、そんなふうに考えたことはありませんでした。
短絡的なものの見方を排す
日本人がいかに読書好きかを証明するため数百件軒をつらねる神田の古本屋街を、日本人の大学図書館長が引き合いに出した。それに対して、アメリカの大学図書館長は、それは図書館の制度と設備に重大な欠陥があるのだろうと言った、とある本にあった。
(谷沢永一『紙つぶて』)
このような見解の擦れ違いはあちこちにある。どこどこの国を訪れた人が、道路や公園にチリ一つ落ちていない、公衆道徳を市民がいかに遵守しているかを手柄話のように伝えたら、それは市が清掃車を絶えず走らせているからだとか。裏を返せば、それほどチリを棄てる人が多いということである。
なるほど。
女性専用車両についても、他国の見解を知りたいところですね。
話は少し変わりますが、
公共図書館というのは実に優れていて、協力関係の他館から取り寄せることもできます。なので、わざわざ大学図書館に行かなくても、たいていの資料ならなんとか閲覧することは可能なんですよね。
冒頭の古本屋街と公共図書館の話ですが、単に「読みたい本が読める環境」と考えるならそのとおりでしょう。
ただ、世の中には本を読むだけではなくて、所有・蒐集したいマニア、という人々もいるわけで、神田の古本屋街はそういう人のための場所でもあるとも思います。
そういう古書・古本マニアはアメリカにもいるはずですが。