(40/100) 『書物の快楽』、鷲田小彌太、三一書房、一九九三



書物の快楽

書物の快楽

その研究内容に詳しく触れたことはないのでよくわからないが、
そのフットワークの軽さは評価していた。

しかし、この本を読んで、ところどころから漂ってくる左翼的な思想傾向がちょっと鼻についた、かな。


優れたエッセイの条件として挙げている、
「知的で、けれん味なく、しかも文章のよいこと」というのには同感
(ちなみに、その例としてあげているのが曽野綾子)。

1930年代までの文壇の漱石観は、世俗的評価とは裏腹に、
「文章のうまい通俗作家」(正宗白鳥)というようなものであった。

60年代末、家族と農村からの解放なしに、したがって、
都市と市民の自立なしに人間は自由を獲得できない、と
痛烈にアジテートして、大学闘争の炎に油を注いだのは、
羽仁五郎『都市の論理』であった。


70年代末から80年代を通して、「無縁・公界・楽」を鍵概念に、
日本史を貫く「自由と平和」の隠れた主体を発見して、
歴史理解に新たな光を投じたのは網野善彦である。


60年代、「自主・自立・自治」を理想とした京都の「市民」形成史を、
「町衆」に焦点を当てて鮮やかに論じたのは、林家辰三郎『町衆』である。

村上春樹羊をめぐる冒険』は、70年11月25日から78年10月までをカバーしている。
これは三島由紀夫の自決の日から、初めての小説『風の歌を聴け』を脱稿するまでの期間である。

梅棹忠夫の「文明の生態史観」
文化は輸出できるが、文明は輸出できない。
その固有の文明によって世界は区切られており、独自の発展を成し遂げてきた。


日本は早くから中国文化の影響をまともに受けてきた。
しかし、日本と中国の文明は別物であり、異質な発展を遂げてきた。
これに対して、日本が西欧の影響を受けたのはずっと後からなのに、
その文明形成は同形である。
どうしてなのか。


西欧と日本に「封建社会」があったからだ。
日本は、地理的にはアジアだが、文明的には西欧と同じである。
日本が西欧型の近代化に成功したのは、
もともと日本はアジアの一員でなく西欧と同類であったからなのだ。
明治以来の、アジアを抜けて西欧を目指す、という「脱亜入欧」というのは、
異質なものになるのではなく、まさに日本それ自身になる過程であった。

…以上のことを、梅棹は昭和32年、高度成長期になる前に言った。