『ウェブ人間論』(1)、梅田望夫 平野啓一郎、新潮新書、二〇〇六年



ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ進化論』、『ウェブ時代をゆく』に対する反論、
あるいはこの2著作を冷静に客観視する視点の本として読んだ
(実際の出版は、『ウェブ進化論』→『ウェブ人間論』→『ウェブ時代をゆく』の順)。


平野啓一郎の視点、なかなか鋭い。
わたしと共有するところも多い。

平野
情報処理のことで面白いと思うのは、八〇年代に活躍したいわゆるニューアカ世代の一部の人たちには、今でも、あらゆる情報に網羅的に通暁して、それを処理することができるというふうな幻想が垣間見えることがあるんです。
…(中略)…
だけど、九〇年代後半以降のネット検索時代を経ると、情報なんてのは、そういう一部の「専門家」だけじゃなくて、誰でもがアクセスできるし、そもそもがとてもひとりの手に負えないほど膨大で、結局は、選択的に自分の関心のある世界のものだけに手を伸ばすか、大雑把な全体の把握に努めるくらいのことしかできないという認識が一般化したと思います。その前者の先鋭化したものが「オタク」でしょうし、アカデミックな世界の専門の細分化にも影響を及ぼしていると思います。だから、今、「誰々が既にこんなことを言っている」と書いてみても、みんな、あっそう、としか思わないんじゃないですかね。それは。たまたまオレが知らなくて。オマエが知ってることだな、くらいにしか感じないかもしれない。その相似、あるいは相違が何を意味しているのかというところまで、キチンと議論を掘り下げなければ評価されないでしょう。これは僕は、いいことだと思いますね。作家でもアカデミックな世界の研究者でも、知ってる、ということだけでは、もう威張れない。

これには完全に同意。
また、ウェブの進化により「(知の)自動秩序生成の仕組み」が出来つつある、と語る梅田に対して、平野はむしろ母集団が大きくなることによるネットの衆愚化を危惧する。もっともな意見だけど、梅田が述べるように、これはもう少し先にならないとわからないと思う。
それよりも、「衆愚化するかしないか」ではなくて、規制やアプリケーションのシステムによって「衆愚化するかしないか」をコントロールできてしまう(可能性がある)ことを考えた方が建設的だろう。これこそまさにレッシグが考えてることで、レッシグもネットの可能性については「新しい文化を生み出す可能性がある」と、とりあえず楽観視していた。
ネットの衆愚化についての議論はもっと長いスパンで考えたい。


ほかには、ブログについてはこんな感じ。

僕はネットでブログをやっている人の意識って、だいたい五種類に分けられるんじゃないかと思ってるんです。


一つは、梅田さんみたいに、リアル社会との間に断絶がなくて、ブログも実名で書き、他のブロガーとのやりとりにも、リアル社会と同じような一定の礼儀が保たれていて、その中で有益な情報交換が行われているというもの。


二つ目は、リアル社会の生活の中では十分に発揮できない自分の多様な一面が、ネット社会で表現されている場合。趣味の世界だとか、まあ、分かり合える人たち同士で割と気安い交流が行われているもの。


この二つは、コミュニケーションが前提となっているから、言葉遣いも、割と丁寧ですね。


三つ目は、一種の日記ですね。日々の記録をつけていくという感じで、実際はあまり人に公開するという意識も強くないのかもしれない。


四つ目は、学校や社会といったリアル社会の規則に抑圧されていて、語られることの
ない内心の声、本音といったものを吐露する場所としてネットの世界を捉えている人たち。ネットでこそ自分は本音を語れる、つまり、ネットの中の自分こそが「本当の自分」だという感覚で、独白的なブログですね。


で、五つ目は、一種の妄想とか空想のはけ口として、半ば自覚的なんだと思いますが、ネットの中だけの人格を新たに作ってしまっている人たち。これは、ある種のネット的な言葉遣いに従う中で、気がつかないうちに、普段の自分とは懸け離れてしまっているという場合もあると思いますが。


この五種類が、だいたいネット世界の言説の中にあると僕は考えるんです。一番目と二番目とについては、ネットに対して最も保守的な考えの人でも、多分、否定的には見ないでしょう。三番目は、やっぱり、自分を確認したいというのと、自分のはかなく過ぎ去っていく日々を留めおきたいという気持ちとがあるんだと思います。よく問題になるのは、四番目と五番目ですね。その時に、リアル社会のフラストレーションが、「自分の本音は本当はこうなんだ」という四番目の方に向かうのか、五番目の空想的な人格の方に向かうのかは分かれるところだと思いますが。

わたしはもろに3番目のタイプ。
自分のPCではなく、Web上に考えたことを書いておくことで
「自分のはかなく過ぎ去っていく日々を留めおきたい」という気持ちが強い。
誰かが読むかもしれないと思うと、あまり考えたことをそのまま垂れ流しもできないし、
ちょっとした制約にもなって、PCに向かうモチベーションが上がる。
あとは、web上にupしておくことで「集合知」に貢献している、というのも大きい。
Amazonとか、「価格.com」のレビューは本当にためになる。
あれと同じようなことをしてるつもり。


で、梅田望夫からは電子書籍についていろいろ刺激を受けたのだけど、
それについては 次回 に。

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