『新しいマイケル・ジャクソンの教科書』、西寺郷太、二〇〇九年



新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書

新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書

おい、クインシー、マイケルとたいしたものを作ったな。
俺やデューク(・エリントン)は想像すらしなかった、どでかいことだ。
わかってるのか? 俺達の想像を超えることをお前たちはしでかしたんだぞ。
カウント・ベイシー (1984年、クインシー・ジョーンズに語りかけて)

NONA REEVES, 西寺郷太の『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』より。
1982年に発表された、マイケル・ジャクソンのアルバム、
『スリラー』の成功についてのクインシー・ジョーンズの言葉だ。


気にしなければ、そのまま通り過ぎてしまう言葉だが、
ベイシーのこの言葉、少しじっくり考えてみよう。


まず、ベイシーとクインシー・ジョーンズの関係だけど、
一応師弟関係になるのかな。
トランペッターとしてはいまひとつパッとしなかったクインシー・ジョーンズ
一念発起してアレンジャーを目指し、頭角をあらわす。
その後、ベイシーに認められてアレンジを任され、
クリアーでキャッチーな「ベイシー・サウンド」を作り上げた。
個人的には、”This Time By Basie”なんかが真っ先に思い浮かぶかな。
This Time By Basie


さて、このベイシーとデューク・エリントンは、
言わずとしれたビッグバンド・ジャズの2大巨人だ。
ジャズの世界では、誰もが一度はこの2人に何らかの形でオマージュを捧げているといってもいいだろう。
そういや、サンボーンの”Another Hand”にも、’Dukes & Counts’なんて曲があったっけ。
Another Hand


特にエリントンの影響力は恐ろしいものがあり、
2009年の今でもエリントンへのオマージュは途切れることがない。


ただ、これはあくまで「ジャズの世界」の話。
そして、ジャズ自体、アフロ・アメリカンが創った音楽だから、
アフロ・アメリカンであるベイシーとエリントンがトップになって
なにも不自然はない。
マイケル・ジャクソンが成し遂げた「どでかいこと」とは、
『スリラー』のメガ・ヒットにより、
「ポップスの世界で」、これまで誰も成し遂げたことのない記録を達成したことにある。


また、これは同時に、
アメリカにおけるアフロ・アメリカンの成功モデル」となることでもある。
ロックの世界で言えばジミヘンも成功者といえるだろうが、
セールス面ではマイケルとは比べようもない。


いま気づいたことだけど、
シカゴ出身のクインシー・ジョーンズが、
シカゴのクラブでキャリアを積んだベイシーのアレンジを担当し、
シカゴの影響が大きいゲイリー出身のマイケル・ジャクソンのプロデュースを担当したことになるのか…。


不思議な因縁を感じる。


アメリカにおける成功モデルや、
この地理的な音楽ルーツの話はとめどなく膨らみそうなので、
もう少し材料が集まってから考えたい。


スリラー
Best of
The Basie Big Band
Intimate Ellington