仕事上の付き合いのある人から紹介されて読んだ本。
すぐに図書館で予約して読んだ。
紹介文が非常にそそる。
一行も文章を書かなかったソクラテス、
19歳ですべての著書を書き上げ、最後の日まで沈黙し続けたランボー、
めくるめくような4冊の本を書き、その後36年間私生活の片鱗をも隠し続けたサリンジャー、
ピンチョン、セルバンテス、ヴィトゲンシュタイン、ブローティガン、カフカ、メルヴィル、
ホーソン、ショーペンハウアー、ヴァレリー、ドゥルーズ、ゲーテ…。
共通する「バートルビー症候群」を解き明かし、発見する、書くことの秘密。
書けない症候群に陥った作家たちの謎の時間を探り、書くことの秘密を見い出す―異色世界文学史小説。
フランスの「外国最優秀作品賞」受賞作。
そして、作者エンリーケ・ビラ=マタスの経歴。
1948年、スペイン、バルセローナに生まれる。大学生の頃から雑誌の編集に携わり、映画評論を執筆。
映画の制作にも関わる。
84年に発表した『詐欺』で小説家として知られるようになり、
85年に芸術家たちの秘密結社を描いた『ポータブル文学小史』で一躍脚光を浴びる。
以後着実に作品を発表して、本国はもとよりフランス、イタリアなどの様々な文学賞を受賞。
『バートルビーと仲間たち』も出版直後から大きな反響を呼び、
フランスの「外国最優秀作品賞」などを受賞した。
で、かなり期待して読んだのだが…。
「いろいろよく調べたね、でもそれだけだね」というところか。
題材は面白いのに、それをうまく調理しきれていない、というのが素直な感想。
もしや、著者もまた「バートルビー症候群」にかかってしまったがゆえに、この題材を書ききれなかったのか?
と勘繰ってしまったほどである。
奥泉光ばりのメタレベルの展開を期待したのだが、それも特になし
(もっとも、これは手垢のついた手法だからと、あえて忌避したのかもしれない)。
なかでも一番私が不満だったのは、作者自身が述べている問い、
書くほうがまだましだと考える理由がほかにもあるだろうか? (収容所の記憶) …
われわれは誰もが、どれほど恥ずべきこと、苦痛に満ちたものであっても、
突然われわれの記憶によみがえってくる生活の断片を救い上げたいと思っている。
そして、そのためには言葉にして書き残すしかないのだ。
いくら否定しようとも、文学は、日毎に不道徳になってゆく現代人の目が
どこまでも無関心になって見過ごそうとするものを忘却の淵からすくいあげる。
に答えていないように思えるからである。
諦念に身を任せて学識をひけらかしてそれで終わり、と読んだが、
これは私の読解力不足のせいかもしれない。
堀江敏幸の『熊の敷石』のような、小説というよりもエッセイという雰囲気だった
(もちろん、エッセイっぽいから悪い、というわけではない)。
本書よりも、むしろ出世作の『ポータブル文学小史』(1985)を読んでみたい
(1924〜27、マルセル・デュシャンを中心に『トリストラム・シャンディ』から名前をとった
「秘密結社シャンティ」という団体が誕生する。
『ポータブル文学史』は、スコット・フィッツジェラルド、ベンヤミン、ラルボー、
ガルシア・ロルカ、オキーフなどが名を連ねるこの団体にまつわる話らしい)。
ただ、タイトルの元ネタになっている、
メルヴィルの『代書人バートルビー』は面白かった。
まだうまく消化できていないが、長く付き合っていく小説であることを直感する。
以下、気になったところをメモ帳代わりに。
・オスカー・ワイルド
「ぜんぜん何もしないのが世界中で最も難しいことなのだ。最も難しくて最も知的なことなのだ。」
人生最後の2年間、パリで何もしなかった。
アメリカのバーリントンにあるブローティガン図書館
この図書館は、アメリカのアンダーグラウンド作家リチャード・ブローティガンをたたえるために作られた。
この図書館には、出版社に送ったものの、
撥ねつけられて日の目を見ることのなかった手書きの原稿だけが収められている。
つまり、この図書館には堕胎した本だけが収納されているのだ。
こうした原稿が手元にあり、否定(ノー)の図書館、もしくはブローティガン図書館へそれを送りたいと思っている人は、
アメリカのヴァーモント州にあるバーリントンの町へ送るだけでいい。
確かな筋からの情報によると、向こうは不運な作品だけを集めようとしているので、
どのような手稿もはねつけることは無いとのことである。
それどころか、最大級の喜びと敬意を持って手稿を大切に保存し、展示してくれる。
ホフマンスタールは驚くべき早熟振りを示し、『手紙』を書いた時点で危機に見舞われ、
絶対的な沈黙に陥りそうになるが、やがてその深淵から爆発的な力で蘇った。
だが、シュニッツェラーによれば、上に述べたような創作活動を行ったホフマンスタールも
深淵からの蘇りという唯一無二の奇跡以上のことはついになしえなかったとのことである。
「なぜ書かないのか」という問いは、必然的に「では、なぜ以前は書いたのか」という問いを導く。
結局、正常なのは読むという行為なのだ。以前書いた理由について、わたしの好きな答えは2つある。
ひとつは、私は詩をつくることでアイデンティティを作り上げようとしていたのだ、ということ。
もうひとつは、私は詩人になりたかったのではなく、詩そのものになりたかったから、というものだ。
・メルヴィル「代書人バートルビー」(人生全般の放棄)
・ホーソーン「ウェイクフィールド」(結婚生活の放棄)
ウェイクフィールドはロベルト・ヴァルザーと、バートルビーはカフカと密接に結びついている
(実際は、ヴァルザーはカフカの愛読書)
*メルヴィルの『バートルビー』について
・ドゥルーズ「バートルビー、または決まり文句」(『批評と臨床』収録)
「バートルビーはカフカの日記に出てくる大文字の独身者にそっくりである」
・ジョルジュ・アガンベン『バートルビー 偶然性について』
- 作者: エンリーケ・ビラ=マタス,木村榮一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/02/27
- メディア: 単行本
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