『ロックはどうして時代から逃れられないのか』、渋谷陽一、ロッキング・オン、1996

ぼくらの世代にとって、渋谷陽一は実に有用な存在だ。
というのも、ぼくらの世代はロックの揺籃期〜青年期を同時代体験できず、
そのため、ある程度教養主義的に時代を遡って「勉強」しなければ「ロック史」の全体像を把握できない世代だからだ。*1
『ロック ベスト・アルバム・セレクション』や『ロックミュージック進化論』とかはよくお世話になった。
同人誌の発刊からスタートし、友人たちと会社を立ち上げ、
反抗精神と批判精神を主柱に雑誌をいくつも運営する手腕は評価するし、
ぼくも渋谷陽一の雑誌で好きなものはいくつもあるのだけど、
どこか距離を感じてしまうのはなぜだろう?
諸ジャンルに関して発言し、リベラルなスタンスを取っているが、
その実頭が固そうに見えるところかな。
あくまで紙面から感じるぼくの印象だけど。
面白かったのは、「メディアやつあたり」と「まえがき・あとがき」「雑誌やつあたり」など。
各ミュージシャンについての渋谷陽一の論考や紹介文は、同時代的に意味があったのだろうが、
今読んで刺激を受けるものはあまりなかった。
もっとも、これは氏のスタンスや意見がスタンダードになったためかもしれない。
渋谷陽一が敬愛するプリンスについての面白いネタを2つほど。

プリンスは小比類巻かほるのプロデュースもした。

プリンスは、American Music Awardの授賞式で、参加者全員が”We Are The World”を歌う中、
最も目立つところにいながら1人ペロペロ・キャンディをなめて、全く歌わなかったプリンス。

さすがプリンス、素敵だな。
ぼくも大好きです。

最後に、タイトル「ロックはどうして時代から逃れられないのか」について――
――そんなの、当たり前じゃないか!


*1:もちろん、皆が皆「ロック史」を学ぶ必要はないが