『図書館が面白い』、紀田順一郎、ちくま文庫、1981年

(本書裏表紙解説文より)

ゲーテ好きがこうじて「東京ゲーテ記念館」を創った粉川忠。
旅先でも古本屋を駆けまわって“つまらん本”を探し出し
大宅壮一文庫」を創設した大宅壮一、などなど……。
図書館が出来るまでには、さまざまな人間ドラマがある。
綿密な取材をもとに、
その挿話から上手な図書館の利用法まで図書館の魅力を紹介する。
旧版「図書館活用百科」を全面的に書き改めて贈る図書館への招待状。

まあこの通りの内容で、各図書館の紹介が主。
いつも通り、面白かったところを引いておく。

天理図書館の出発点は奥深いところで、
天理教の一般的地位の向上、
社会(国家)からの認知という問題とも絡んでいたと思われる。
明治時代には政府の思想統一の障害になるものとして大弾圧をうけ、
神道本局のもとに従属させられていた。
社会各層には、天理教に対する偏見が充ち満ちた。
そうした不利な状況をはねのけるためにも、
天理教団は早くから文化啓蒙活動に意を用いてきた。
図書館建設への異常なほどの熱意と持続的な努力も、
そのような背景なしには考えられないのである。

日本点字図書館
 テープなどのオーディオ機器が発明される以前は、
点字の不得手な人は読書の世界から閉め出されていた。
なかでも悲惨だったのは、かつてのハンセン氏病患者であった。
指先の感覚が麻痺してしまうので、唇や舌を用いて点字を読んだ。
紙がダメになってしまうので、
繰り返し読みたい聖書などは暗記する他はないという状態だったという
(治療が確立した現在、このようなことはない)。
 障害者たち利用者が本を大切にすることは想像以上で、
戦時中に空襲から逃げ回った人々が、
わずかな荷物の中にも必ず点字本を入れるのを忘れなかったため、
すべて無事に帰ってきたというエピソードもあるほどだ。

晴眼者にとっては一目見れば何でもない自然や絵画も、
障害者は文章を通してしか知ることが不可能だ。
読書が好きだの嫌いだのとぜいたくを言ってはいられない。
それは生活に必須のものとして存在するので、
ここに点字図書館は単なる文化事業ではなく、
救済事業、福祉事業として位置付けられるのである。

他にも、「東京ゲーテ記念館」創設者の粉川忠と、
当時在学していた高等師範学校の教頭とのやり取りである、

ゲーテは生涯やっても後悔しないでしょうか」
ゲーテを生涯の研究対象としても、決して後悔はしない」

もいい。


人々にとって、本がいかに大事なものだったかがわかるエピソードだらけ。
それに比べて現代では……なんて嘆くつもりは毛頭ない。
テクノロジーの発達に伴い、情報伝達メディアが進歩するのは当然で、
新しいものが便利ならば、あえて昔のメディアにこだわる必要はないからだ。
ただ、ぼくが知りたいのは、昔の人々が本に託していた「知」への信頼や、
よかれ悪しかれある種の権威として機能していた「教養」への信頼が、
現在は何に形を変えているのか、ということだ。
インターネット上で多数の人によって瞬時に共有される「知」なのか、
それとも誰が持っても平等の価値を保証する資産の額なのか。
もちろん、これはすぐに答えの出ることではない。


当たり前のことだが、テクノロジーの進歩は社会の価値観をも変え得る。
この本を読んで、ぼくはそんなことを考えた。

図書館が面白い (ちくま文庫)

図書館が面白い (ちくま文庫)