『下北サンデーズ評』

朝日新聞「キュー」(島崎今日子)

いろんな本を貸してくれ、恋愛や友情や思想というものを教えてくれた、
二つ年上の従姉妹がいる。
大学を卒業した彼女は「私、松井須磨子になる」と宣言して、
親に勘当されながら東京の劇団に入った。
私は時折上京して、彼女のもとを訪れた。
山のように豚まんを買って劇団に差し入れると、あっという間になくなる。
従姉妹のアパートは台形の形をした3畳間で、床が傾いていた。
彼女の作ってくれたオムレツを食べて、15分歩いて銭湯に行った。
食べるためにバイトをし、それでもお財布は空っぽなのに、
将来がまったく見えないのに、従姉妹は生き生きとしていた。


下北サンデーズ」(テレビ朝日系)を見ていると、
うんと昔のその頃を思い出して切なくなる。
東京は小劇場のメッカと呼ばれる下北沢。
そこを根城にする下北サンデーズという
弱小劇団を舞台に繰り広げられる物語。
役者たちが、実にビンボーなのだ。
どれくらいビンボーかというと、部屋にキノコが生えるくらい。
ラーメン代すら出せなくて、
店主の情けで「替え玉」だけを食べてしのいだりする。
飲み会は100円以下のつまみがそろう居酒屋。
服装はもちろんジャージー
けれど、そんなビンボーもなんのその、芝居という夢があるのさという
役者たちの姿が軽快に活写されている。
クサイ言い方だけれど、まさに青春だわと羨ましい。


主役の里中ゆいかを上戸彩が演じていて、実に可愛い。
金八先生」以来、はじめて魅力的だと思ったほどのハマり役。
洒落た部屋も服も食べ物も出てこないけれど、心が晴れる作品だ。
(ライター・島崎今日子)

……どうしちゃったんですか、島崎さん!?
このコラムを読んで、思わず独りで突っ込んでしまった。
朝日新聞のこの「キュー」というコラムは、
テレビ番組について日替わりでライターが自由に論じるスペースで、
各人個性が違っていて面白い。
中でもぼくが楽しみなのが上の島崎今日子なのだが、
それは彼女の筆が実に鋭く、辛辣で口が悪いからだ。
はっきりいって、記憶ではほめているのを読んだ覚えがない。
ただ、難癖をつけているのではなく、彼女の論には筋が通っている。
要はそう批判されても仕方のない番組が多いってことだと思う。
で、「下北サンデーズ」評。
驚いたことに手放しで絶賛じゃないですか。
一体どうしたの?
…もっとも、このコラムは感傷的な思い入れが強く、
作品自体の評は最後の数行だけ。
なんかいつもの島崎さんっぽくないなあ、と思った。
個人的には、彼女の本音を聞けた感じでいっそうファンになったけど。


一方で、こんな評も。

少し落ち着きなさい。
思わずそう言いたくなるドラマが最近やけに目立つ。
小刻みなカット割りと過剰な演技。
瞬間視聴率を上げようと必死なのか、
ずっとヤマ場のようなテンションで、見ているのがつらくなる。
その典型といえるのが「下北サンデーズ」(テレビ朝日系)。

…まるで学芸会コントの連続。
上戸に「コマネチ!」などの瞬間芸をさせたり、
つかこうへい演出もどきの舞台芝居で、人間関係を矢継ぎ早に説明したり。
どれも上滑りだが、承知の上で滑っているようなあざとさが見苦しい。
さらには画面を揺らす、映像を巻き戻す、テロップを入れるなどの小細工で、
目くらましに終始した演出なのである。
こうした手法はドラマというよりCMに近い。
とにかく人目を引いて商品(ドラマ)を売ることが目的。
ドラマでドラマを宣伝しているだけなので、肝心の本編が存在せず、
一種の自家中毒に陥っているのである。
京都新聞、「テレビの泉」、高橋秀美、8月9日)

高橋秀美は、堤幸彦*1が相当キライなんだろうな。
評は島崎今日子とは正反対。

下北サンデーズ」の演出は堤幸彦が担当しているわけだけど、
ぼくには高橋秀美の批判するところは全て堤演出の優れたところに思える。
高橋秀美は、堤演出が映像的な小細工に走り、
「CM的」であるというけれど、それは頭ごなしに批判できることだろうか?
テレビドラマは、人間関係を描くだけが全てではない。
映像作品である以上、映像に重きを置いた演出もあっていいはずだ。
大体、脚本が石田衣良なんだから物語に期待できるはずないじゃないか。


……と、島崎今日子と高橋秀美の評を引いたけど、
実はぼくはこのドラマほとんど観てない。
第一回目を逃してしまい、後でまとめて観ようと思って封印してるのだ。
だから、もしかしたらイタイドラマなのかも…。
堤幸彦はすごく好きだけど、確かに大きく外して「寒い」ことがあるからなあ……。
*2


とにかく、正反対の評が面白かったので引いておく。

*1:というか、「オフィスクレッシェンド的なもの」、か?

*2:『ハンドク!!!!』とかさ…