『不過視なものの世界』、東浩紀、朝日新聞社、2000年

東浩紀には、デビューの頃は注目していた。
しかし、時が経つにつれて興味がなくなっていった。
この本も最近になってから、
半ば氏のことを忘れていた時に偶然出会ったものだ。


どうしてぼくは興味を失っていったのだろう?
それは、比較対象として妥当かどうかわからないが、
ニューアカの人々、特に浅田彰と比べてみるとよくわかる。
読み物として面白くないのである。
学問的な価値はひとまず置いておくとして、
少なくともニューアカの人々の著作は読み物として面白かった。
それが決定的な違いだ。


この本も読み物としてあまり面白くない。
それがまず第一点。
次に気になったのが、細部へのこだわり。
専門の研究者でなく、いわゆる批評家の論文は切り口が命だ。
斬新な切り口で新しい視点を供給するのが批評家の役目、
その視点から細部を詰めていくのが研究者の仕事だとぼくは思う。
その意味で、この本はやたらと細部に拘泥しているような気がする。
が、これはぼくが東浩紀と問題を共有できていないだけかもしれない。
山形浩生との対談が噛み合っていないのも実に象徴的。
ただ、最後の阿部和重との映画を巡る対談は実に面白かった。
家のどこかに「積ん読」になっている阿部和重の映画論を早く発掘しよう。


不過視なものの世界

不過視なものの世界