『となり町戦争』、三崎亜記、集英社、2005年

公共事業としての戦争が主題の話。
行政管理下に戦争は静かに、しかし確実に遂行され、
それに主人公の一市民が巻き込まれる様子が描かれる。


第17回小説すばる新人賞受賞作。
本の五木寛之井上ひさし高橋源一郎の推薦文にあるように、
この小説は評価も高く、一時期話題になったように思う。
そのテーマにはぼくも興味があったので期待していた。


戦争をすると儲かる、少なくとも戦争をすることで儲かる人がいる、
という事実は人々の間に浸透している考えだろう。
朝鮮戦争は日本の経済復興に一役買った、なんてのは中学校でも習うはず。
そして、さらに一歩進めて、
そもそも戦争を行う理由は政治的・経済的対立などではなく、
単に「一事業として儲かるから」だ、という考えも、
実はそれほど突飛なものではなく、既に共有されている認識なのかもしれない。
その発端となったのが、、山形浩生が訳し、
菊地成孔が自作のアルバムの題名にまで採用した『アイアンマウンテン報告』。
これはフィクションとして書かれたものなのだが、
細部にわたってデータを駆使して展開される主張を人々は事実として受け止め、
後で作者がフィクションであることを述べても信じてもらえなかった本だ。
だから、「公共事業としての戦争」という考えには、
それほど衝撃を受けなかったし、意外性は感じなかった。


それから、恐らくこの作品のもう一つの主題、
「我々は、現実感はなくても多かれ少なかれ戦争に加担している」という感覚は、
押井守が『パトレイバー2』で粘着的に(しかし作品としては極めて美的に)
描いた感覚だ。
この問題提起も特に新しいものでなく、ぼくはそれほど惹かれなかった。


結論として、期待していたほど衝撃は受けなかったのだが、
一冊の最初から最後まで安定して楽しめるのも事実。
決して気負わず、だれず、単調にならずに続く叙述は見事。
また、扱っているテーマが目新しいものではない、と書いたが、
別に新しいテーマを書くことだけがエライのではなく、
繰り返し語るに値するテーマというものもあるわけで、
「戦争」について、感情的な視点からではないところから、
このようなエンターテイメントとして成立させる力量は素晴らしい。


テーマの意外性に注目するのではなく、
作者の語りの確かな力量に注目するべきではないだろうか。
次の作品も読んでみたいと思わせる作家だ。

となり町戦争

となり町戦争