『ダ・ヴィンチ・コード』、ダン・ブラウン、角川文庫

非常に凡庸な作品だと思った。
まず、シオン修道会テンプル騎士団といったテーマは、
本作品がはじめてテーマにしたものではない。
文庫版巻末で荒俣宏が書いているように、
これらは最近のブームですらある。


本作品の背景を説明するなら、
「聖杯探求」研究は1980年代からヨーロッパでブームになっており、
その延長線上でテンプル騎士団とシオンの修道会が注目された。
1990年代には科学史から美術史までも巻き込んだ聖杯研究へと進展したが、
このうち、いちばん研究が遅れていたのがレオナルド・ダ・ヴィンチの問題。
つまり、『ダ・ヴィンチ・コード』は
こうした背景を踏まえたある意味「コースを突いた」小説だ。


テンプル騎士団マグダラのマリアなど、
キリスト教の裏の歴史は本当に面白い。
いまもざっと読み返して、要所要所で説明される事実に興奮していたところだ。
ただ、それが小説として、プロットに沿って順序よく説明されるのには興ざめ。
まるでシドニィ・シェルダンを読んでいるようで、
これならもっと文章の上手い研究家の専門書の方が面白く読めたのではないか。
こうしたうんちくを説明する時に、延々と会話が続くのにも閉口。


それに、なんといってもテンプル騎士団ものには先例がある。
ウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』。
10年近く前に読んだ小説だけど、これは面白かった!
フーコーの振り子』は、アナグラム、暗号解読など、
あらゆる方法を使って歴史に隠された符牒をあばいていく話であり、
これと比べると『ダ・ヴィンチ・コード』は氷山の一角程度。
この「隠された歴史解読」が、
いつしか「どこまで現実でどこから妄想なのか」境界がわからなくなり、
最終的には妄想に現実が浸蝕される……という、
まさに「壮大」や「豊饒」という言葉で表現するのにふさわしい小説が
フーコーの振り子』なのだが、『ダ・ヴィンチ・コード』は
エンターテイメントにおさまってしまっているのが残念。
もっとも、そうでなければこれほどまでにヒットしなかっただろうけど。


面白かったものを引いておく。

近年、異教――”pagan”――という言葉は
悪魔崇拝とほぼ同義とみなされているが、これは大きな誤解だ。
この語の起源へ遡ると、ラテン”paganus”、
すなわち「田舎に住む者」という意味の語にたどり着く。
”pagan”とは文字通り、キリスト教が行き渡らない僻地の人々―
―古い土着の自然崇拝を守る人々のことだった。
カトリック教会はこうした田舎の村――”village”―
―に住む人たちを恐れたので、
かつては単に「村人」を表す語であった”villain”が、
「ならず者」という意味に変化してしまった。

なるほど、『ヴィレッジ』という映画があったが、
あれはこのことを踏まえているわけだ
(映画自体はいまひとつだったけど)。

ウォルト・ディズニーは聖杯の物語を未来の世代に伝えることを
密かにライフワークにしていた。
生涯を通じてディズニーは
「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と賞賛された。
二人とも時代に先駆けた存在であり、
比類ない才能を持った芸術家であり、秘密結社の一員であり、
そして何より大のいたずら好きであった。
レオナルドに劣らず、ディズニーも作品に
秘密のメッセージや象徴をまぎれこませるのを好んだ。
「宗教や異教の神話や抑圧された女神の話」が多い。
『眠れる森の美女』は、
主人公オーロラ姫に「ローズ」という仮の名がつけられ、
邪悪な魔女の手から守るために森の奥深くに隠されるが、
これは明らかに子供向けの聖杯の物語。
『リトル・マーメイド』では、
アリエルが海中の洞窟に隠していた絵画が
17世紀の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの描いた
『悔悛するマグダラのマリア』―追放されたマリアに捧げられた絵画―。
アリエルという名前も聖なる女性と強く結びついており、
イザヤ書では「苦悩する聖都」という意味で使われている。
『リトル・マーメイド』は90分間のコラージュとして、
イシスやイヴ、魚座の女神ピスケー、
マグダラのマリアの失われた聖性を象徴によって描き出すアニメーション。

そう考えると、近年ディズニーが売り出している
「プリンセスグッズ」も意味深に思えてくる。
個々の作品ではなく複数の作品から抽出した
「プリンセス」というキャラクターにより、
ディズニーは失われたマグダラのマリアの失われた聖性を
提示しているといえるだろう。


しかし、久しぶりに読んだ小説がこれってのは……イカンなあ。
もっと存在が揺さぶられるような小説を読まないと
自分がダメになっていく気がする。


ダ・ヴィンチ・コード(上) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(上) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(中) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(中) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(下) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(下) (角川文庫)

フーコーの振り子 上 (文春文庫)

フーコーの振り子 上 (文春文庫)

フーコーの振り子 下 (文春文庫)

フーコーの振り子 下 (文春文庫)