『恋の門』、監督松尾スズキ、原作羽生生純

う〜ん、いまひとつノレないな…。
観る前からやな予感はしてたんだけど、見事に的中。
その原因は内容とその語り方のミスマッチにある。


原作の漫画の面白さは、
誰もが一度は抱く、
「若気の至り」的な「自分の好きなものへの熱中」が、
いまどき珍しい暑苦しい劇画のタッチで描かれる
アナクロニズムにあるんだけど、
映画では、この物語は極めていまどきの手法の連発によって、
速いテンポで描かれる。
松尾スズキは内容と手法を対比させ、
その衝突の面白さを狙ったのかもしれないが、
かえってテンポの速い演出によって内容は希釈され、
その結果、演出も奇をてらった軽薄なものに感じられて
相乗的に負の効果となっている。


端的にいって、狙いすぎです。


ちなみに、題名の『恋の門』とは、
五木寛之の『青春の門』(もしかしたら『肉体の門』も?)を
踏まえたものだろうし、
主人公が石に漫画を書く、という設定は、
もちろんつげ義春の『無能の人』へのオマージュでもあるのだろう。
(ちなみに土田世紀の『編集王』にも
 コミケで石に漫画を描く人物がいたよね。)


また、この漫画の初出はコミックビームの連載。
当時、『弥次喜多道中 in DEEP』にカネコアツシの『Bambi』、
桜玉吉の随筆漫画、吉田戦車の『象の怒り』(「消滅」ではない)など、
コミックビームは本当に濃かった。
いまも『SOIL』を連載してるしね。


このフィルムを観ていたら、
思わずビームの存在感について考えてしまった。