菊地成孔の音楽史本で、2004年の東大教養学部で行われた講義録。
東大の教養学部には、
生徒の人気投票によって講師が決まる講義があるらしい。
そのコマに菊地が選ばれた、というわけだ。
菊地の音楽史は面白く、知的な喜びが味わえるので、
東大生に人気がある、というのも十分納得できるところ。
講義の内容は『憂鬱と官能を教えてくれた学校』とかぶるが、
『東京大学のアルバート・アイラー』の方が
音楽史と当時の文化・風俗との関係を広く論じており、
その分、音楽理論の説明は薄くなっている。
この本を読んで再確認したのだが、
菊地は、音楽史のまとめ方が非常に上手い。
そして、その際のちょっとした一言が実に気が利いている。
いくつか引いておこう。
ドラム・セットは……これも近代の発明品で、スネアはヨーロッパ製、
シンバルはトルコ製、タムタムはアフリカ、
ウッドブロックはラテンとかアジア、というキメラみたいな楽器なんですね…
モダン・ジャズはテープ編集=「磁化」によって作られる
時間と空間から目を逸らし、
また、「電化」による歪みや濁りといった要素からも手を切ったまま、
1970年代に入っていくことになります。
このことによってモダン・ジャズはさらにポピュラリティーを失い、
自身の領域をジャンル化、意匠化することで
守ろうとするようになっていく。
モダニズムの終焉です。
テクノといっても、
YMOはMIDI以前のテクノロジー・ミュージックなんです。
YMOの、世の中の音楽がデジタル化する瞬間にやめる、というのは、
デフレへの突入と同時に活動停止したピチカート・ファイブと
イメージが重なりますね。
ビバップとは、超高速演算処理的なアドリブです。
デューク・エリントンという人は生涯、
「ここではないどこか」の音楽を夢想した音楽家でもあります。
全ての伝統主義者はすべからく歴史修正主義者でもある。
という具合で、とても面白い切り口だと思う。
他にも、ジャック・デリダがオーネット・コールマンの演奏に
朗読で飛び入りしたが、
客席からのものすごいブーイングで
最後までステージにいられなかった話のような
音楽史の知識も勉強になった。
ジョン・ゾーンの
「ラディカル・ジューイッシュ・カルチャー」シリーズ。
(TZADIK /DISK UNION)
→ アメリカにおけるアングロ・サクソン文化とユダヤ文化を分けて、
両者を互いに異なるものとして
音楽的歴史を再構築するべく孤軍奮闘している。
1949年:
ビルボード誌は、「レイス・ミュージック」を「R&B」チャートに、
「ヒルビリー」は「カントリー&ウエスタン」チャートに
名前を変更した。
→ ジェリー・ウェクスラーの示唆による。
ウェクスラーは、後にトルコ大使の息子、アーメット・アーティガンと
一緒に「アトランティック・レコード」を興す。
ノーマン・グランツ(Norman Granz)は
ジャム・セッションのパッケージ化に成功し
(「JATP:Jazz At The Philharmonic」)、
このレーベルが後のVerveになる。
バップはカンザスのリフ・ミュージックが、
ニューヨークのスピードと出会って生まれた
「My Funny Valentine」の歌詞の中の「ヴァレンタイン」は男の名。
また、菊地の名前が先行しがちだが、
多分大谷能生も大いに講義に参加しているはず。
(大谷)
…ジャズに関してはある時期から批評が進歩してなくて、
歴史的見通しも更新されてないし、
実学的な側面からもまとめがないし、
ジャズ・マニアの重箱の隅をつつくような感想と、
知識も経験もない、ただの印象だけで良いとか悪いとか言ってるような
批評のどっちしかなくて、
もうね、そろそろきちんと整理しておきたいなー、
というのはありましたね。
ぼくはこの2人、ボケとツッコミみたいな感じだと
勝手に想像してるんだけどどうだろう?
柄谷行人と浅田彰のような。
講義の後半も楽しみだ!
- 作者: 菊地成孔,大谷能生
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