『ランド・オブ・ザ・デッド』(3)

takao:
ゾンビ三原則? 何それ。今考えたんじゃないの?


Auggie:
まあ、そう思うのも無理はない。
でも、これは有名な決まりで、
ジョージ・A・ロメロが確立したって言われてるんだな。
もっとも、今ではこれがあまりに当たり前になってるから、
皆特に意識してないんだけど。


ゾンビ三原則とは、即ち――

(1) ゾンビは人間を喰らう。
(2) 食べられた人間もゾンビになる。
(3)ゾンビは頭を破壊しなければ死なない。

ってこと。
これに「ゾンビは早く動けない」を加えてゾンビ四原則とする場合もある。
なんか当たり前でしょ?


t:
言われてみれば、確かにこれってゾンビの特性だね。
もっと大げさなものかと思った。


A:
それだけ浸透したってことなんだな。
その後のホラー映画からゲームの『バイオハザード』まで、
この法則は脈々と受け継がれてるよね。
でも、このゾンビ観は、当時ロメロが打ち出した新しいものだった、
ということを強調しておきたいね。


t:
もともと、「ゾンビ」って、ヴードゥー教のなんかだっけ?


A:
そう。ちょっと英和辞書なんかを引くと、

zombie――(voodoo教で)死人に入り生命を与える超自然力。
また、超自然力によって操られる死体
ジーニアス英和辞典)

なんて書いてあるね。
他にも、英英を引いてみると――

“(in some African and Caribbean
religions and in horror stories)
a dead body that has been made alive again by magic”
(Oxford)

なんて書いてあるね。
残念、まだロメロの定義は学術的には認められていないようだ。
このことから考えても、ロメロの革新性はわかってもらえると思う。
ヴードゥーの呪術から、人間を襲うモンスターへ。
ロメロのオリエンタリズムはひとまず横に置くとして、
これは大きい転換だった。


t:
どこからこんな発想を思いついたのかね。


A:
「喰らう」とか「頭を破壊する」というのは、
ホラー映画に不可欠な「派手さ」の演出だったかもしれないけど、
実はこの3要素は深い意図があってのものだと思うんだよね。
例えば、「頭を破壊しなければ死なない」なんてのはその最たるもの。
一応その理由として挙げられてるのが―
―ゾンビは一度死んだ人間なので、心臓は皆止まっている。
で、その行動を司ってるのは神経や本能を司っている脳だから―
―なんて説明されるけど、これはとってつけたようなもの。
大体、生物学的に考えて、
心臓が止まったら真っ先に脳なんて機能しないもんね。
ここでいう「頭」っていうのは、「思想」のことだ。


t:
また随分唐突で思い切ったことを…。


A:
そうかな? 
でも、そう考えると実に上手く解釈できるんだよ?
第一作目の『ナイト〜』では、「人間」対「ゾンビ」の対立が、
エスタブリッシュメント」対「カウンターカルチャー」の
メタファーになってる。
カウンターカルチャー」勢力を根絶やしにするためには、
その思想を刈り取らなければならない。
また、「ゾンビに食べられるとゾンビになる」もそう。
アジテートされて思想に感化される、ということでしょ。
『ナイト〜』『ドーン〜』『デイ〜』と
ゾンビが進化していくことを考えても、
この「ゾンビの頭部」というのは「思想」を象徴してると思うんだな。
でも、このゾンビシリーズが複雑なのは、
単純にゾンビ=革命勢力=支持すべき存在
人間=既存の勢力=打破すべき存在 
となっていないところで……


t:
『ドーン〜』でのゾンビは、完全に消費者の象徴として戯画化されてるもんね。


A:
そうなんだ。
一方で、新作『ランド〜』でのゾンビは、
根本的に人間たちと和解することは出来なくても、
固有の世界・生活は尊重すべきものとして描かれている。
ロメロ監督自身も述べていることだけど、
ここにイラク戦争の構造を読み取らない方が難しい。


t:
言われてみれば頷けるけど、随分複雑だな…。
ゾンビ映画にこんなメッセージ性があったとは。


A:
たかがゾンビ映画、されどゾンビ映画
でも、ホラー映画のこういった複雑さは、
実はゾンビだけじゃなくて、長く映画界の伝統でもあるんだよ。               

(まだ続く)