『コンピュータのきもち』、山形浩生、アスキー、2002年(1)

ぼくの敬愛する山形浩生によるコンピュータの入門書。
といっても、ワード・エクセルの実用的な使い方ではなく、
システムの階層やプログラムの組まれ方、
コンピュータの発展の歴史など、
コンピュータの思想史とでもいうべきものについて
ざっくりと書かれた本です。

もともとの趣旨としては、コンピュータの初心者向けに、
単にコンピュータのちまちまとした使い方を指導するだけじゃなくて、
もっと大きなコンピュータの概念みたいなものをわかってもらえるような
コラムができないかな、ということだった。

それなりの深さと正確さを持って、
コンピュータの本質にそれなりに迫って読者をバカにせず、
一方で理解しやすくて、わかんないところでも、
少なくとも読んで面白い―
―なんかそんなものが書けないかな、
というのが書き手としての希望ではあった。
内容的にはチューリングマシンの話から、
ぼくが個人的に思っていた「コンピュータ」の捉え方とか、
文字コードの話からついでに著作権の話までぶちこめて、
そこそこ目的は達成できたんじゃないかと思う。

そうなんだ。
ぼく自身、コンピュータをまだ上手く使いこなせなくて、
職場でも四苦八苦しているところだけど、
でも自分のことを棚にあげて言えば、
毎日コンピュータを使っていれば、そういう「ちまちまとした使い方」は
いずれ身につくと思ってる。
それよりも大事なことは、根底にあるコンピュータの思想を理解すること。
というのも、これを理解していないと、
新しいアプリケーションやシステムを導入したときに
また一から手順を覚えなければならないだろうから。

あまりこういうのはやらないんだけど、
以下、本書の内容を概観してみよう。


山形浩生は、いまのパソコンを取巻く状況を次のように分析する。

パソコンの難しさのひとつであり、その価値のひとつでもあるのは、
目的がはっきりしていないことにある。
コンピュータは、人が作ってくれたものをひたすら集める
閉じた世界とはちがう、
もっと開かれた、自分でいろいろ構築できる
(それも買い物以外の手段で)ものだ。


コンピュータは、10年前に比べて格段に能力が上がった。
ところが、パソコンは使いやすくなるどころか、
ますますややこしくてどうでもいいものを増やす傾向にある。
 ∵ コンピュータと同化できる
   「おたく」たちによって作られているから。

そして、IBMが作っていたメインフレーム(大型汎用機)の説明から始まり、
Apple社のマッキントッシュの衝撃など、
コンピュータの発展史、各社の勢力争いの歴史が述べられる。
IBM社の歴史的意義やマックユーザーが威張っている理由、
そして一時期日本の市場を席巻していた、
NECのPC−98シリーズが姿を消した理由なども述べられ、
面白くてためになった。
欄外にもLSIやCPU、UnixLinuxなどの言葉の説明もあって親切。
勉強になったね。


コンピュータの話とは少しずれるけど、
著作権について述べられたところが面白かったので、
少し長くなるが引いておこうと思う。
……と思ったんだけど、これはちょっと面白い話で、
全部引くと長くなるので続きは次回に。


新教養としてのパソコン入門 コンピュータのきもち

新教養としてのパソコン入門 コンピュータのきもち