朝日新聞「語りつぐ戦争」投書(2005.11.23)

45年6月、陸軍中尉だった父が大阪の陸軍施設で空襲に遭って死んだ。
返ってきたのは血のついた鉄かぶととサーベルだけ。
そのわずか2ヵ月後、終戦となった。


残された母と4歳の私、1歳にもならない妹は、
神戸の祖父母宅に身を寄せた。
焼け野原の中、その一角だけが奇跡的に焼け残っていた。


母は再婚して婿養子をもらった。
生活のため働き手が必要だったが、まもなく離婚。
直後に母は肺結核を患った。
混乱で良い薬もなく、ガリガリにやせて死んでいった。


私たち姉妹の養育費や生活費のため、祖父は屋敷を売り払い、
バラックのような建物に移った。
親類が野菜などを差し入れて助けてくれた。


だが、両親がいない寂しさはどうしようもなかった。
小学校の父母会で見る、友達の若いおかあさんがうらやましかった。


腹が減ると、キュウリやトマトをかじった。
友達の家で、板チョコやガム、キャラメルをもらうのが生きがいだった。


初めてサンドウィッチを食べたのは中学の家庭科実習。
あまりのおいしさに驚いた。
友達が果物つきの弁当を持ってくる中、
私は購買部で買ったパンをかじっていた。


終戦から10年ほどたった頃だろうか、
県から死んだ父に勲章をという話があった。
私は「こんな戦争は二度とあってはならない」との反戦文を添え、
丁重に断った。
戦争に両親を奪われた者の精一杯の抵抗だった。


封印したかった少女時代。
結婚するとき、出征中の父の写真や母が映った
入学式の写真はすべて捨ててしまった。


今、父は神戸を一望できる墓地に眠る。
死後に陸軍での位が一つ上がり、墓標には陸軍の星のマークと
「陸軍大尉」の文字が刻まれている。


どうしてあんな戦争をしたのか。
父が生きていたら、教えてほしい。

朝日新聞2005年11月23日朝刊1面、「語りつぐ戦争」投書
 主婦 栗栖昌子さん 神戸市北区 64歳)

真摯に人生を生きた人の言葉には、何者も抗うことのできない力が宿る。
そしてその力は、祝福や激励の場面だけで発揮されるわけではない。


上の言葉に宿る力は「呪い」だ。
以前、『夕凪の街 桜の国』についてこのブログでも書いたが、
戦争に対する呪いの言葉に、ぼく達は耳を傾けなければならない。
お題目のように唱えられる平和主義でなく、
真摯に戦争を生きた人々の呪いの言葉。
それこそ後世の人々が必要とするものなのだ。


それにしてもこの文章は素晴らしい。
余分な修飾はなく、最低限の言葉で綴られているが、
人間の感情が生々しく表現されていて、
この人の人生がありありと目に浮かぶ。

休日の一面にこの文章を掲載した朝日新聞の判断を評価したい。