『マイ・ライフ』、綾戸智絵

[book] 『マイ・ライフ』、綾戸智絵幻冬舎、2002年
 
綾戸智絵は、デビューのときから注目していた。
といっても、京都のヴァージン・メガストアで大きく推薦されていて、
そこの試聴機で初めて知ったのだけどね。 
その頃、ぼくは楽器をやっていたので、
買うCDは楽器が中心でヴォーカルにはあまり興味がなかった。
そんなぼくが聴いても、綾戸さんのメジャー1st、
『For We All Know』はすごかった!
試聴機で1曲目の「I only have eyes for you」を聴いて、
即座に購入を決定。
決していい声ではないが、しゃがれてブルージーな声にまずやられ、
パッション剥き出しの歌い方に完全にノックアウト。
大げさかもしれないけど、
このCDでぼくは初めてジャズ・ヴォーカルの深さ、
というものを垣間見た気がしたのだった。
綾戸さんがまだ今ほど人気のなかった頃、
ぼくは1stと2ndを音楽仲間や友人達に聴かせて地道に紹介していたものだ。


しかし、綾戸さんが何かと話題になり、
爆発的な人気を得るようになってくると、なんだか熱が冷めてきてしまい、
綾戸さんも短いインターヴァルでアルバムを発表するので、
活動を追いかけるのをやめてしまった。
目利きの自分を過大評価して、売れてきたら面白くなく思う、
典型的なファン心理である。
まあ、単にそれだけじゃなくて、実際に『life』とかを聴いてみたら、
粗い作り方が気になった、というのもあったのだけどね。


で、たまにテレビで目にするくらいで、
長いこと綾戸さんからは離れていたんだけど、
先日、この『マイ・ライフ』と『ジャズ レッスン』が
ともに古書店で安く売っていて、
懐かしかったし予算に余裕があったのでまとめて買ってみた。
どうせ多幸症気味に、そして関西弁でブロークンに語られているんだろうなぁ、
くらいに思って、家に帰ってパラパラと読み始めたのだけれど…
…あまりに迫力があって面白くて、そのまま一気に読んでしまった。



この本は、とにかく逸話に溢れている。
例えば……

25歳のときには、デユーク・エリントン・オーケストラのtb.プレイヤー、
チャック・コナースと既に面識があったので、
来日したとき迎えに行ったのだが、
そのとき彼が連れていた天才アルトがケニー・ギャレット。
そしてケニーと意気投合した綾戸さんは、
二人で夜な夜な飛び入りライブを敢行した話。

とか、

息子のイサ*1の「予言」により、阪神大震災の被害を奇跡的に逃れた話。
「この部屋に泊まるとぺっちゃんこで血だらけになるから家に帰る」と
イサがダダをこねたから知人の家に泊まるのを止めて家に帰ったから、
らしい。

とか。
ちなみに、綾戸さんはシングル・マザーなわけだが、
夫とのすれ違いや、その夫を残してイサと二人で
アメリカから日本に帰って来る話も書かれている。
それと綾戸さんが絶大な信頼を寄せる日野元彦とのエピソードも…。


でも、一番壮絶なのはやはり30歳のときに乳ガンにかかった話だろう。
綾戸さん自身は、「病と闘いながら歌うシンガー」というレッテルを
貼られるのが嫌だったので、この病気の話はして欲しくないらしいが、
ぼくはとても衝撃を受けた。
というのは、女性にとって「子供をもちたいということ」と
「不治の病という自分の運命」とが対立してしまうことを知ったからだ。
そして、そのような状況になったときに、
「子育て」という重大な仕事がまっとうできなくても
子供を産んでしまうことの最終的な根拠は、
結局のところ「産みたい」という母親のエゴであることなのだが、
エゴであることをを自分自身理解しながらも
子供を産んでしまうところがすごかった。*2
ぼくは別にこのことを批判しているのではない。
女性の「性」または「生」の底知れない力に圧倒されてしまっているだけだ。
これは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の主題でもあったはず。
ラース・フォン・トリアーって、そんなに好きな監督じゃないけど、
この女性の「生」という観点から観直して見ると
新たな発見があるかもしれない。
まだ観てないけど、『ドッグヴィル』とかもそういうところあるのかな。



さて、音楽関係でぼくが興味深く読んだのは、
綾戸さんと二人のピアニストについて。
即ち、益田幹夫と南博との関係だ。


まずは益田幹夫だけど、どうも性格に問題があったらしく、
綾戸さんと揉めたらしい。
益田幹夫はメジャー1stの『For All We Know』と
2ndの『Your Song』でを弾いているけど、これらの演奏はかなりいい! 
1stの1曲目の「I only have eyes for you」、
2ndの1曲目の「The Great City」のピアノは素晴らしい! 
タイミングといい、フレーズといい、歌モノ伴奏として言うことないのでは。
ぼくはすごく好きなピアノだったのだが、音楽的に優れている分(?)、
益田は偏屈なところがあったらしい。
当時の綾戸バンドでは、
アンコール時に綾戸さん自身が弾き語りで終わるらしいのだが、
綾戸さんのピアノが高い評価を受けたのが面白くなかったらしい。
その腹いせに、1999年のライブでは、
綾戸さんに歌わせないようにバンドの演奏だけを45分間続けたり、
サビに行かずにコードを弾いたり、
というようないじわるを定期的に行ったらしい。
で、当然のことながら益田はクビになり、
途中まで決まっていた3rdの『life』の構成を一から考え直すことになった。
『life』がいまひとつ練れてないのにはこういう舞台裏があったのだ。
また、『life』からのベーシスト、チャボこと杉本智和とも揉めたらしい。
綾戸さんに問題があるというのはちょっと想像つかないけど、
現場ではそれぞれの思惑が交錯することがあるのだろう。
ぼくは、こういう話を聞くと単純にもったいなく思ってしまう。
ビル・エヴァンススコット・ラファロのように、
人間関係が理想的なものでなくても、美しい音楽を生み出せるのなら
一緒に演奏して音楽を生産して欲しいのだが……やっぱり無理かな。


次に、南博。
実は、綾戸さんがデビューするきっかけとなったのは、
1996年の夏に、知り合いだった南博に誘われ、
八ヶ岳ジャズフェスティバルにゲスト出演したことのようだ。
偶然その演奏が内田修の目にとまり、デビューに至る、と。


南博との関係はその後も続き、
節目節目で南博は重要なアドヴァイスをしているようだ。
あるライブで声が出なくなったときも、
南博は「男気を出して」綾戸さんを助けたらしいし、
既に『For All We Know』の前にも南博と『A Song For You』という
アルバムを自主制作していたらしい。*3
南博は、菊地成孔が最も敬愛するピアニストでもあり、
おそらく人間的な魅力のある人物なのだろう。
もう一度じっくり聴きなおしてみよう、
そう思って『Touches and Velvets』を聴いたのだが……。
このアルバムの感想はまた今度。


そして、この本の「あとがき」の前の、
本文の最後の日付は「2001年9月11日」なのだけど、
これはもちろん同時多発テロ、「9.11」の日だ。
この日に綾戸さんはニューヨークに飛行機で(!)旅立った。
シカゴ上空あたりでテロがあったことを知ったらしい。
阪神大震災といい、本当に紙一重で危険を回避している。
本当に人生が多忙な人だ。
この本を読んで、再び綾戸さんに対する興味が湧いて来た。
最近のアルバムで、バンドでかっちり作っているものを聴いてみようか。


マイ・ライフ

マイ・ライフ

*1:「イサ」とは、スワヒリ語で「神様の子供」を意味するらしい。

*2:これは男性にもある思いかも知れないが、実際にお腹を痛めるぶん、女性の方が生々しいだろう。

*3:さらに、『ONLY YOU』というアルバムも制作していた。が、あまり売れずに返品が続いたり、そもそも扱ってくれない店も多かったという。