『『白鯨』アメリカン・スタディーズ』、巽孝之、みすず書房、2005年

高校生以上を対象とした、「テクストをじっくりと読む」ための教科書、
「理想の教室」シリーズの一冊。
ちょうど『白鯨』を読み終わったところであり、
このシリーズに興味もあったので読んでみた。
それに……作者が巽孝之
過去に山形浩生と一悶着あった研究者であり、
山形ファンのぼくとしては巽の著作も読んでみたかったのだ。


で、読み終わった結論としては……
あまりまとめるのが上手く無さそう。
語句の使い方も雑な印象を受けた。
高校生用ということで易しい言葉を選んでいるのかもしれないが、
逆に曖昧になってしまっているように思う。
全体的に、読者に迎合しようとしながらも
それが徹底できていない印象を受けた。
間違えやすいことだが、年少者に向かって説明することは
研究者に説明することよりも難しい。


『白鯨』という作品の解説を通じて、
文学の読み方を提示しようとしているのだろうが、
それが網羅的すぎてとにかく情報量に圧倒された。
その意味で大いに勉強にはなった、が……。
文化的な関連性の示唆は確かに豊富だ。
しかし、そのほのめかしで終わっているのがほとんど。
比較文学」または「比較文化」研究が、
「安易な関連性の提示」だけに終わってしまうこと。
これこそ、四方田犬彦が「比較文学」研究で
最も心を砕いて忌避しようとしていることではなかったか。


この本を読んだ高校生は、なんか『白鯨』ってのはスゴイんだなぁ…
くらい感じるかもしれない。
しかし、そんな印象ならば、既に岩波文庫の解説で充分なのではないか?
個人的には、私は八木敏雄の解説に刺激を受けた。


少々辛口かもしれないが、しかし、章別にテーマが分けられているのは嬉しい。
以下、章別に見てみる。


「第一回 世界はクジラで廻っていた」
は、小説の背景となる19世紀という時代や作者メルヴィルの生い立ち、
19世紀アメリカの政治動向、
しばしば「アメリカン・ルネッサンス」と評される
アメリカ文学史について語られる。

面白かったのは、以下の通り。

捕鯨船が張り巡らせたネットワークがあったからこそ
地球全体の地図を作るのも可能だった。
鯨油(マッコウ鯨の脂身から100樽は取れるといわれる)は、
16〜19世紀の300年間において、高級ローソクや家庭用ランプなどの「光源」、
羊毛・革製品加工のための「洗浄用のソフトソープ」、「ペンキ原材料」、
「精密機械の潤滑油」として使われてきた。
その後、19世紀後半からは石油や石炭ガスとの競争にさらされて
市場価値が下がったが、20世紀になり、
WWI時において「爆薬の原料」として利用されるようになった。

・『白鯨』は、マンハッタン、即ちニューヨークから始まる。

・時代背景は、恐らく、1840年頃で、
北部出身の民主党系のマーティン・ヴァン・ビューレン第8代大統領が
1837年の不況を回復できず、
南部出身のホイッグ党ウィリアム・ハリソン第9代大統領へ
移行する過渡期。
1830年代は、南部名家でない庶民出身の大統領、
アンドリュー・ジャクソンが政治への大衆参加を推し進めた、
ジャクソニアン・デモクラシーの時代。しかし、不況で停滞)

メルヴィルは、母方も父方も独立戦争で活躍した名士の家系。

1850年……NY随一の資産家といわれた
ジョン・ジェイコブ・アスターの遺言によりアスター図書館の設立が
決定した年であり、1854年に完成した同図書館は
20世紀にNY市立図書館の中核となった。
さらに、1830年代には「NY.ヘラルド」や「トリビューン」など、
新聞産業が発展した。

アメリカン・ルネッサンス(1941年の研究者による命名)…
…ポウ、ホーソーンメルヴィルの御三家。
(他にも、ストウ夫人、ホイットマン、エミリ・ディッキンソン、
エマソン、ソローなど)
 「神を中心にして人間自身を卑下する古い体制」
   → 人間自分自身への「自己信頼」。
人間が神へといたる「超越主義」こそ
民主主義的ロマンティシズムの根本。
      ⇒ その背後には、アメリカの「膨張主義」(ヤングアメリカン運動)
        「領土拡張主義政策」がある。

・明白なる運命(Manifest Destiny)
ジョン・オサリヴァンにより、1848年に民主党内部の運動として
アメリカ的理念・制度・影響力を浸透させるべく目論まれた
歴史的装置(初出は1845年の「併合論」。)。
 「われわれの民族が北米大陸にくまなく拡がっていくことは、
神から与えられた使命」
  → アメリカ帝国主義の原点。
領土の併合や勢力の拡張を正当化するイデオロギー
     → 『白鯨』発表の1851年とは、
これに則って日本にまで進出した時期。

・『緋文字』の「A」はadultery(姦通)や、able(能力)、
angel(天使)を示すambuiguity(曖昧さ)を示しており、
『白鯨』の「白」は両義性・多義性を示している。

・「1850年の妥協(The compromise of 1850)」
1831年の黒人奴隷ナット・ターナーの反乱を始め、
37年の経済大恐慌に付随する暴動の頻発、
48年のセネカ・フォールズにおける初の婦人参政権会議の開催といった動きが高まってくるにつれて、ウィスコンシンやカリフォルニアが自由州として連邦加入したことにより奴隷制を一部緩和しつつも逃亡奴隷法による取締強化を導入する「1850年の妥協」が実現した。
  → この「政治的妥協」と「キリスト教」への懐疑は切っても切り離せない。
だからこそアメリカン・ルネッサンスの作家達は
    ピューリタニズム批判としての超越主義に共鳴し、
    キリスト教以外の宗教思想にも深い関心を示して、
    美学的曖昧性や両義性を強調するレトリックを洗練させていった。

第二回、第三回についてはまた明日書く。


『白鯨』アメリカン・スタディーズ (理想の教室)

『白鯨』アメリカン・スタディーズ (理想の教室)