『ひかりのまち』、浅野いにお、小学館、2005年

浅野いにおとの出会いは、ヴィレッジ・ヴァンガード
山積みとなった『素晴らしい世界』(1)が、
過剰な紹介ポップでベタ褒めされており、
ヴィレヴァンに来ると購買欲を刺激されてしまう私は、
ろくに中身を確かめもせずに購入した。

結果は大当たり。
しかし、私はこの漫画を評価する言葉を上手く綴ることが出来ないでいる。


普通、私が人に何かを薦めるときは、見所や面白いところを引用したり、
またはそのコンテクストを説明してその作品の意義を述べてみたりするのだが、
どうもこの作品に関しては両方とも上手くいかない。
「とにかく読んでみて」と渡すことしか出来ないのだ。


で、そういう時は他人の批評を参考にする。
以下は、この前 [magazine] にアップした、
漫画特集号の「STUDIO VOICE」から。

浅野いにお
セールスポイントとしては「新感覚派」「新世代の旗手」
ということになるのだろうがしかし、浅野は単に新しいセンス、
特徴のある上手い絵、趣向を凝らした構成といった、
何らかの特殊能力によって突出する作家ではなく、
むしろいろいろな読者の拒否反応をすり抜ける
描写力とコマ割りで勝負する、正統派だといってよい。
褒めるにしろけなすにしろ、雰囲気ものの一言で断ずるのはバカげている。
あえて近いジャンルを探すなら70年代から80年代にかけての
ニューウェイヴ・ストーリーマンガ群になるだろうか。
それでも、いやそれこそ大友克洋なんかよりよっぽどわかりやすい。
感覚が新しいなどともてはやすより、今年で25歳になる作家にしては、
大人のようにまとめきる知性と良識を持っている点を
きちんと解析すべきだろう。
『すばらしい世界』にはムダがない。
もし一続きの物語として描いたなら、
ダレ場を入れなくてはならなかったかもしれないが、
同一の世界観で、少しずつ関連した一編を読みきり形式で綴っているために、
要点のみで済ませることが出来た。
そしてそれぞれが短く、読みやすい。
そうした技法が優れている。
もう一つ、小説や映画が長年紡ぎだしてきた普遍的な人間の悩みを、
あくまでいまの事情や価値観に照らし合わせ置き換えた作業を
行っている点を評価したい。
もし重さがないとしても、それは現代の読者に最適化した結果。
決して自己満足とはいえない。  (後藤勝)

『素晴らしい世界』
よしもとよしとも山本直樹の、あまりにも正統な後継者。
それも、ほとんど純粋培養の。
恥ずかしいまでにすがすがしく、彼らを受け継いでいる。
小田急線的な(=町田〜下北沢的な=非中央線的な)青春像を、
町と郊外の間にあるリアル、バンドやカメラと就職の間の中途半端なリアルを、
自家中毒とならずに(浅野からはサブカル漫画にありがちな
自意識過剰さや文学趣味が感じられない)真っ向から描く、
今、ほぼ唯一の描き手。        (山田和正)

……どうも共感することが出来ない。
後藤の述べていることは間違っていないと思うが、
それは特筆すべきことなのかと思うし、
山田の文章は紹介の文章であり、その魅力を伝えていないように思われる。


私自身、現時点では浅野作品を上手く評価できない。
ので、とりあえず今後の作品に期待している描き手である、
とだけ書いておこう。   


素晴らしい世界 (1) (サンデーGXコミックス)

素晴らしい世界 (1) (サンデーGXコミックス)

素晴らしい世界 2 (2) (サンデーGXコミックス)

素晴らしい世界 2 (2) (サンデーGXコミックス)

ひかりのまち (サンデーGXコミックス)

ひかりのまち (サンデーGXコミックス)