「CONTE(コンテ)、宮崎駿の不思議」、若草書房、(2001, summer, vol.1)

千と千尋の神隠し』の公開にあわせた宮崎駿の特集号。
特に期待して購入したわけではない。
古書店で安く売られており、竹中直人のインタビューが載っていたので購入した。
ところが、これがなかなかの掘り出し物だった。


以下、面白かったところを引いておく。


・「マンガの言語 日本語の不思議」(養老孟司

−日本語の表現者は言語で明確な思想を表現するのが苦手ということですか?

養老 いや、そうではない。きちんと論理的に言うと、
   学生になんて言われるかというと屁理屈といわれる。
   日本人の感覚だと本当に論理的にきちんと言われると、
   俺は幼稚園の生徒じゃないという感覚になる。長くなるんですよ。
   一言で言えば俳句にしろということになる。
   私が早口なのは論理的なことを飽きられないように
   聞いてもらうためなんです。

竹中直人のインタビューは期待していたほどではなかったのだが、
収穫だったのは次の竹内オサムのたった2ページの評論、
「名なし、カオナシ、<含み>なし」だ。


宮崎駿中尾佐助の「照葉樹林文化論」に強い影響を受けていたことを示し、
となりのトトロ』について、次のように述べる。

…『となりのトトロ』では、イネも重要な役割を担うことになる。
二人の少女の名、サツキ(五月)とメイ(MAY)の名が示すように、
五月はイネの種まきの時期。
物語の時間も田植えの時期からはじまって、
イネの成長期である夏の終わりに終わっている。
弥生文化の栽培植物であるイネが、
クスノキやシイなどの照葉樹林の植物と等価に、物語に配置されているのだ。


 このように『となりのトトロ』というアニメでは、
植物が重要な意味を持っていた。
照葉樹林文化(縄文時代)と稲作文化(弥生文化)、
その二つの文化複合がイメージされているのだ。
父クサカベが、照葉樹林文化期の縄文時代に稲作のあった事実を
研究する学者である事実も示唆的である。


 さらに複雑なことを言うと、
直接物語の背景にとられた、昭和20年代後半から30年代という時代相も、
その点に微妙な重なりをみせる。
その時期以降、アメリカ文化が流入して
日本人の生活習慣はがらっと変わっていく。
つまり、『となりのトトロ』には、
二つの変動の時期がダブルイメージで捉えれているのだ。
即ち、物語の表層には昭和20年代から30年代の時間が、
深層には縄文後期の時間が。
アメリカナイズされる敗戦後の時期と、
照葉樹林文化に稲作文化が接木される縄文後期の時代相とが、である。…

そう、この少女の二人の名前がなぜ5月なのか、不思議だったのである。
その理由を以上のように示す竹内オサムの解釈に納得である。

となりのトトロ』をこのように分析するが、
これを踏まえ、竹内は『千と千尋の神隠し』については批判的である。

となりのトトロ』では、
照葉樹林はそれ自体、謙虚なイメージとして背景に控えていた。
表現の二重構造が、子供も大人も楽しめるという、
作品の奥行きとなりえていた。
 しかし、『千と千尋の神隠し』では、物言いがストレートだ。
個人の記憶の意味を、直接観客に語りかける。
背後に<含み>をもたせる配慮がない。
観客の内面に、時空の遠近法を仕掛けるわざがない。
その点が、
この映画を平板なものに終わらせている最大の理由の一つなのである。

なるほど、と深く頷く。
ジブリの中では、私は『となりのトトロ』が最も好きな作品なのだが、
もう一度、以上の観点から観なおしてみたいと思う。


巻末をみると、「次号は特集カムイ伝と網野歴史学。11月中旬発売」と予告がある。


これも是非読みたい! というか、むしろこっちが読みたかったくらいである。
この「宮崎駿特集号」は創刊号。第二号はきちんと出たのだろうか?
そして、今も続刊しているのだろうか。
いい雑誌は、すぐになくなってしまう。続いてくれていると嬉しいのだが……。