『佐藤さんの本』、丹羽基二・牧野恭仁雄、浩気社、二〇〇五年

忙しい中、こんな本を読んだ。
題名通り、「佐藤」という苗字について、
その由来、家紋、道府県別人口割合、人名辞典などが集められている。


帯の惹句、

「全国200万人の佐藤さん、あなたの本が出ました!」
「この一冊で、佐藤姓の<系譜><家紋><名付け>
 <歴史上の有名人>がわかります。」
「ご結婚・ご出産の贈り物にも最適

が面白い。


以下、気を惹かれたものを拾っておく。

佐藤は日本最多の苗字で、その数200万。
ことに関東・東北地方に多い。

普通、苗字は訓読みであるが、「佐藤」は音読み。
これは、「佐藤」姓が古代姓氏にはなく、中世に発生したことを示している。

「佐藤」姓は、
 ① 佐衛門(役職)と藤原(古代)との合姓 
 ② 佐野と藤原との合姓
のいずれかを意味しており、さらにこの2つの要素が合併して出来た姓らしい。
つまり、「佐藤」姓は、鈴木、高橋、田中、渡辺の2〜5位と大きく異なり、
政治的要因で出来た苗字である。

藤原氏は、中臣鎌足、即ち藤原鎌足を始祖とするが、
その子孫、藤原北家の房前の子、魚名の後裔に「秀郷」という優れた武人が出た。
 伝説によれば、近江三上山で大百足を退治し、
土地の蛇媛神から竜宮に招待され、使っても減らない米俵をもらったという。
それから「俵藤太」と通称された。
俵は、その米俵にかけ、藤太は藤原氏第一の男という意味である。
この家系は、摂家を出した「公家」藤原と区別して、
武家」藤原として後世大いに栄えた。
 藤原秀郷下野国佐野圧の唐沢山に居城を構え、
関東一帯を治めた。その勢力は、飛ぶ鳥を落とすほどであった。
大百足を退治したという話は今日の公家ばかりか全国に広まり、
さらに逆賊平将門を倒したという現実と合わせて、
世間から英雄視されたらしい。

佐藤氏は、権力志向がなく(1)、悲劇的英雄伝説を好み(2)、
土地の生活に密着した(3)という特徴が挙げられるだろう。
例えば、史上に有名な権力者を出しておらず、みなセカンド・ランク、
重臣程度でおさまっている。
さらに、藤原秀郷は関東、東北地方に一族を派遣し、
土地開発に励んだことも、これを裏付けているといえるだろう。

西行の本名は「佐藤義清」、藤原秀郷の十代の孫にあたる。

 そして、この本の最大のウリの1つであろう、
「名付け」には「7つの方法がある」としているが、
この本がそのうちの「姓名判断による方法」を重視しているのは、
この方法の説明に60ページ近くを割いていることから明らかだ。


 さて、著者の丹羽基二という名前は、
どこかで聞いたことのある名前だと思って本棚を探ってみると、
『日本人の苗字 三〇万姓の調査から見えたこと』
光文社新書、二〇〇二年)の著者だった。
 この本は、『佐藤さんの本』と異なり、日本の姓全ての由来を扱った本で、
「全国苗字ベスト50」などが掲載されている網羅的な本であるが、
新書という制約のせいか、どうしても広く浅くの印象を免れえない。


では、この『佐藤さんの本』のように一つの姓に絞った著作はどうかというと、
情報量は増えているものの、まだ「名字学」の入口に立たされているかのような
気にさせられてしまうのは不思議だ。


これは、苗字学の奥深さの現われともいえるであろうが、
「読み物としてもうひとつ」なのではないか、という印象が拭えない。
最近の「日本語ブーム」の波に乗れば、ブレイクしそうな気配はあるのだが、
著者は生年1919年、失礼ながらそれには筆の進みを速める必要があるだろう。
著者の年齢から考えて、白川静のように長年の研究成果がいま実を結び、
著作として世に問うている最中のように思われるので、
今後の著作に期待したい。


ただ、まだ自分のルーツに目覚める年齢でもなく、
子供の名づけともしばらく縁が無さそうなので、純粋な知識として面白かった。
本格的に自分が「どの佐藤」の系譜に属するのかが知りたかったら、
それこそ明治まで遡って自分の田舎の菩提寺を調べなけねばならないのだろう。
逆に言えば、そこまでやらないとルーツ調べは面白くない。


私の家紋「下がり藤」は佐藤姓で最も代表的なものであるらしい。
また、姓名判断はあまりよろしくなかった。
親は姓名判断を全く意識していなかったようだ。


ちなみに、名字ベスト5の2位から5位、
「鈴木」「高橋」「田中」「渡辺」にも同様の本が出ている。
「日本の苗字シリーズ」と番号を振られているところをみると、以下続刊、か?
静かなヒットの予感である。


佐藤さんの本 (日本の苗字シリーズ)

佐藤さんの本 (日本の苗字シリーズ)