「書くことについて」(四方田犬彦)

……とはいえ現在のわたしには、もうそれほど自分に持ち時間は
残されていないのではないかという意識がつねにある。
書けるうちに書いておかなくちゃ。
というのも書いておかないかぎり、先に進むことはできないからだ。
書かなければいつまでもそのことが頭のどこかに重荷として残る。
書いてしまえば、それから解放される。
わたしがモノを書くことに捕らわれているのは、
それによって当の対象から心理的に解放されるためである。……

「週刊ヨモタ白書」(webマガジン、パブリデイ)、2005年5月17日更新号より。

全く同感である。
私はブログを綴っているが、それは、四方田氏と同様に
(と書くとおこがましいのだが)、
その作品から解放されるためのようなところがある。


体験した作品について、言葉で残しておかないと、
それがいつまでも私の中に消化しきれない食べ物のように
意識の中に澱のように留まり続ける。
私はそれを消化するために文章を綴る。
四方田氏は「解放されるため」というが、
それが最も顕著なのが、『ハイスクール 1968』なのだろう、やはり。
あの本は面白かったが、同時に読んでいて痛々しかったのも事実である。