『Plays Fats Waller』, Jimmy Smith, Blunote 4100 

(Quentin Warren(g), Donald Bailey(ds),1962録音)

ジミー・スミスが亡くなったことを知った日(2/11)に書いたものを下に記しておく。


今朝、タワレコメールマガジンジミー・スミスが亡くなったことを知った。
まだまだ元気なおじいちゃんだと思っていたが、やはり寄る年波には勝てなかったのだろう。

今日はずっとこのアルバムを聴いていた。


g.がQuentin Warren、そしてdr.がデビューからの付き合いであるDonald Baileyのオルガン・トリオ。
ベースはもちろんJimmy Smithの「両足」で、Jimmy Smithはこの編成を最も好み、
ブルーノートには1512番(1956年録音)を始め、数々の録音を残した。


だが、いつもの両手両足を使った、バップの管楽器奏者のようなフレーズの嵐とファンキー・サウンドを期待しても、このアルバムからはそれは得られないだろう。


本作は、1920年から30年代にかけて活躍したピアノ兼オルガン兼歌手、
ファッツ・ウォーラーの作品集。
しかし、どうも全曲がウォーラーに縁があるわけではなく、
初めからウォーラーの作品集を作るという企画があったというよりは、
プロデューサーのアルフレッド・ライオンが後から作為的に、
つまり企画されていたかのようなタイトルをつけたらしい。


スミスとライオンの縁は長く、そして強い。
その詳細は中山康樹の『超ブルーノート入門』と
『超ブルーノート入門完結編』(ともに集英社新書)にある通り。
スミスは63年にブルーノートを去り、ヴァーヴと高額の契約をすることによって、
ビッグバンドをバックにファンキーに弾きまくる『The Cat』など、
商業的にもさらに成功してゆく。


本作の録音は1962年。
中山康樹も書いているように、いつヴァーヴからの契約があったのかは分からないが、
スミス自身ブルーノートを去り、よりメジャーなレコード会社に移籍する時期が近いことを本能的に知っていたのではないだろうか。

 
その予感が、本作を美しいものに仕上げた。


ここにはファンキーに弾きまくるスミスはいない。
ドラムはブラシでスミスに従い、ギターはソロどころかメロディも弾かず、
ただただ4つを刻むだけ。
そしてスミスのソロも、メロディフェイクやロングトーンを多用し、
まるでメロディのフレーズを一つ一つ確かめているかのようだ。
だが、確かめているのはメロディではない。
スミス自身のブルーノートでの足跡、そしてライオンとの日々ではないか。
そして、スミスの胸中を知ってか知らずか、これを聴いたライオンは
このアルバムにブルーノート最大の功労者にふさわしいレコード番号「4100」を与える。


もちろん以上は聴き手の思い入れだが、このアルバムには、
そんな想像を許してしまう美しさがある。
また、そう考えると、このアルバムを他のスミスのアルバムと比べたときの特異性も説明できるのではないか。
そして、同じ編成のカバー集だが、これも全体的におとなしめの印象を受ける『Plays Pretty Just For You』(1563番)との決定的な違いもそこに起因するのではないか―
―そんなことを、今日はこのアルバムを聴きながら考えた。


スミスがウォーラーの曲を弾きながらブルーノート時代を振り返ったように、
私はこのアルバムを聴きながら、スミスを聴き始めた頃から今日までの日々を振り返った
―こんな感傷的な日があってもいいだろう。


スミスの冥福を祈る。    


<以下、関連記事(タワレコ)のホームページより>
ジャズ・オルガン奏者、ジミー・スミスが2月8日(現地時間)にアリゾナ州の自宅で亡くなった。享年79歳。1925年11月8日ペンシルバニア生まれでジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートし、ハモンド・オルガンの先駆的プレイヤーとして50年代、60年代のジャズ界で活躍。ビバップ・スタイルからR&B、ブルース、ゴスペルまでを幅広く演奏する〈ソウル・ジャズ〉スタイルを確立し人気を博した。足先のペダル演奏でベースラインを操り、左右の手でバッキングとリードをこなす演奏はファンキーそのもので、〈BLUE NOTE〉時代にトリオで吹き込んだ『Crazy! Baby』、〈VERVE〉レーベル時代にオーケストラを従え吹き込んだ『The Cat』、ビースティ・ボーイズがサンプリングした『Root Down』など数々の名演を残した。慎んでご冥福をお祈りします。


ジミー・スミス・プレイズ・ファッツ・ウォーラー

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