(昨日の続き)
『グレイズ・アナトミー』は、ソダーバーグ自身ファンであるという
「マスター・オブ・モノローグ」、スポルディング・グレイの、
文字通りモノローグ(独白)を90分間延々と撮影した作品である。
独白の内容はグレイ自身が経験した眼病とその治療法について。
突然目を襲った痛みの描写から始まり、その治療法を巡って病院をたらい回しにされ、手術をしない治療を求めてネイティヴ・アメリカンの元を訪れ、さらには東南アジアにまで渡ってしまうことを、グレイは一人でカメラを相手に身振り手振りを使って喋りつづける。
その間、カメラは正面からグレイを捕らえ、動くことはない。
もちろん、グレイの話の内容が真実かどうかは問題ではない。
ソダーバーグが惹かれたのはあくまでグレイの話術だからなのだが、
スランプの時期においてソダーバーグがこのフィルムを撮った理由は、
『スキゾポリス』と対比してみることによって明らかになるだろう。
一見すると、『グレイズ・アナトミー』は『スキゾポリス』と
正反対のフィルムである。
後者が多声のナンセンス・コメディであるなら、
前者は一人の男の独白による闘病談であり、
後者のカメラが動き、多声の主を探し求めていくとするならば、
前者のカメラは動かず静止したままである。
さて、演出のない映画というものは考えられない。
『グレイズ・アナトミー』の演出は、背景の色彩、照明、
やり直しのきかない役者の演技など、舞台・演劇のそれである。
自分の敬愛する役者の独白を演出することにより、
映画の最小の単位である「ショット」の演出の限界を見極めていたのではないだろうか。
即ち、編集に頼らない、俳優の演技を演出するということである。
ソダーバーグはそれを確認しているように思われる。
『スキゾポリス』では映画全体の編集、即ち映画の文法の最大の単位を、
そして『グレイズ・アナトミー』では役者の独白を撮ることにより
映画の最小の単位を確認していたといえるだろう。
この2作により「自身のルーツ」と「映画の文法」を確認ソダーバーグは、
ジョージ・クルーニーを迎えた『アウト・オブ・サイト』、
『エリン・ブロコヴィッチ』、『トラフィック』という「カムバック」により
スランプの克服を照明し、そして……『オーシャンズ11』の興行的ヒットを収める。
と、それほど好きでもない監督に付き合ったが、
まだその全体像がつかめないというのが正直なところである。
この続きはまたいずれ考えることにして、
とりあえずこの監督からは距離をとることにしたい。
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