反・ふるさと納税

ふるさと納税という制度については賛否両論あり、特に行き過ぎた特産品合戦については批判が多い。
朝日新聞で見かけた、批判一色の意見を引いておく。
確かに、財政面、税制面から考えたらそのとおりだとは思う。

ふるさと納税のからくり

 ふるさと納税が急拡大している。2008年に発足した当時の80億円から、15年には1653億円に膨れ上がり=グラフ参照=、今後も拡大が予想される。


 ふるさと納税は、自らの住民税額の2割程度を上限に、気に入った地域に寄付金を納め、その額から2千円少ない額が居住地の地方税から控除される。目的は地方自治体の応援だ。昨年末、大火災に見舞われた新潟県糸魚川市への寄付の増大も、この気持ちの表れだろう。
 ふるさと納税をすると、納税先の自治体から寄付額の4割程度の物産品が返礼として贈られる。2千円だけで物産品が手に入る計算だ。ふるさと納税が急増している理由は、この返礼品の存在もある。返礼品の人気ランキングのサイトまである。
 住んでいる自治体の税収は減るが、減少額の75%は国から補填される。つまり、この制度は国と地方の財政資金の一部を、寄付を受けた地域の物産の配布に変えただけだ。国や地方に納めた税金の使い道は見えないが、返礼品は目に見える。納税者は得をした気分だ。
 実際、国と地方の財政資金が、返礼品分だけ減ったところで、自分への公共サービスは目に見えて減ることはない。国民に広く薄く負担をかけながら、個人が便益を受ける機会を与えている。市場での取引を経由しない典型的な財政のばらまきだ。
 多くの人がふるさと納税を利用すれば、国や自治体の財政資金は目に見えて減り、行政サービスの水準は低下する。納税者がそれでいいなら、政府ははじめから、物産品の配布に財政資金を充てればいい。
 でも、本当にそうだろうか。行政サービスは変わらないまま、物産品がもらえると思うから、ふるさと納税する。からくりを知っていても、利用しなければ、物産品はもらえず、行政サービスも低下するだけだ。それなら利用しない手はない。
 本来なら、受け取った物産品の相当額分、その人が受ける行政サー・ビス、例えば、ゴミ収集、治安などを減らすべきだ。だが、公共財なので、それはできない。それが分かっていても、やってみたくなる仕組みになっている。
 一方、自治体は返礼品を巡る競争に陥っている。しかし、物産品の人気は市場での健全な競争でこそ明らかになる。行政による返礼品競争では評価できない。
 ふるさと納税は、物産品の需要を増やす。だが、それが狙いなら、物産品を買う人に、補助金を出す方が分かりやすい。補助金の対象を、行政の選ぶ返礼品に限る必要もない。
 本来なら買うはずもない物産品への需要喚起になるなら、景気によい影響を与える。しかし、その分、他の物産品を買わないなら、需要の取り合いにすぎず、景気はよくならない。
 純粋な所得の再分配と考えても、ふるさと納税は不公平である。なぜなら、返礼品の上限額は地方税の納付額に連動するから、高額納税者ほど便益は大きい。
 ふるさと納税は、本来、自治体への応援が目的だ。それなら、地方税の控除や返礼品などをやめるべきだ。応援なら、純粋な寄付制度にするか、自分の財布で地元品を買えばよい。
 ふるさと納税は、税金の使い方をゆがめるだけで、財政の無駄遣いであることを認識すべきだ。

(「ミダス王の誘惑」(大阪大学特任教授 小野善康朝日新聞 2月17日 朝刊)

行政サービスの低下につながる、ということはあまり意識してなかったが、たしかにそんなこともあるかもしれない。

だが、ふるさと納税のプラスの影響は本当に無いのだろうか?
知名度の向上とか、特産品の生産増加による地元経済の活性化とか。

本来なら買うはずもない物産品への需要喚起になるなら、景気によい影響を与える。しかし、その分、他の物産品を買わないなら、需要の取り合いにすぎず、景気はよくならない。

これがその回答なのだろうけど、ここはもう少し細かい分析を知りたいところだ。

以上、ふるさと納税に対しては批判しかない意見だが、これはこれで一理あると思うのである。

ふるさと納税の理論と実践 (地方創生シリーズ)

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