(13/100) 『知の技法』、東京大学出版会、一九九四

知の技法: 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト

知の技法: 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト



大学に入った当時に買った本。
しかし、東大への対抗意識からか、ながらく「積ん読」状態だった。
この整理期間に3部作まとめて処分することにする。


…とはいえ、意外と凡庸な内容で、
所詮大学教養部の教科書か、と思う論文が半分くらい
(もっとも、向学心に燃えていた10代の頃と異なり、
 自分が興味の持てない分野はあえて読み込む意欲もないのだが)。


でも、

翻訳―作品の声を聞く(柴田元幸
解釈―漱石テクストの多様な読解可能性(小森陽一
史料―日本的反逆と正当化の論理(義江彰夫

の3本は面白く読んだ。
特に柴田元幸の論文はコピーしてしまったほど。
柴田元幸が翻訳に関して書いているものは、
わたしにとって実用的な価値があるのです。


小森陽一の『それから』解釈は、テクスト解釈の実践例ですね。
田舎の高校から熱心に受験勉強をしてきた新入生には、
ああいった手つきが新鮮に映るかもしれない。
これは馬鹿にしてるわけじゃなくて、解釈も面白かったです。
やっぱり漱石と鴎外は時間のあるときにじっくり読みたいなあ。


うれしい発見だったのは義江彰夫の論文。
「なぜ平将門の乱の理論的根拠として菅原道真が引かれるのか」
に関して解説したもの。
高校の日本史の教師が独特な授業を展開していたこともあり、
受験勉強を世界史と地理で乗り越えたわたしには、
中学校に毛が生えた程度の日本史の知識しかないことを
恥ずかしく思うときがある。
いずれ中公の『日本の歴史』とか読んで、
いちど体系的に日本史勉強したいなあ、という気持ちを思い出した。


そうそう、この本はフォトリーディングをして読んだけど、
結構手間取った。
思うに、フォトリーディングは、
書かれた内容の論理構造や筋道をそのまま理解する技術なため、
こういう論文集にはあまり向いてないように思う。
1本1本はすごく早く理解できると思うけど、
それぞれの論文に連関性がない場合、
1冊まとめて読むと結構しんどい。

学問とは、一定の対象に関する普遍的な記述を与えることである。

知は技術であり、それには方法がある。

論文の目的
1.「発見」
 新しい現象や事実の発見の報告。
2.「発明」
 ある現象や事実についての新しい解釈や説明理論を「発明」することによる
新たな理解の提示。
3.「総合・関連」 
 新旧のさまざまな現象や事実、さまざまな解釈や説明理論、それらを関連させ、
総合することで新たな理解を提示する。
4.「批判・再解釈」
 上記の発見、発明、総合・関連についての批判や評価、説明や解析。

聞き取りやすい話し言葉の速度は、字数に換算して1分あたり300字程度。

プレゼン心得。

「疑問形を利用する」

自分が分かっていないことは話さない。
→ 聞き手が知らないことを話さなければならない、というサービス精神は不要。
  (たいてい、聞き手は発表者よりもその内容を知らない)  
自分自身が分かっていることと、まだ知らないことの境界付近での一人相撲になる危険あり。

発表の失敗は自分だけでなく、聞き手も巻き込む。

質問は、センテンスにしてせいぜい4文以内、秒数にして30秒以内を心がける。