「渡良瀬橋」は名曲だが、それは曲のせいだけではない。
松浦亜弥のカバーは、そのことを明らかにする。
森高千里は、デビューの頃でこそ「非実力派宣言」などという
ケバケバしい言葉で自分を表現していたが、
キャリアを重ねるうちに、単に「非実力派」として否定することの出来ない、
確固とした自分の世界を作ることが出来るようになった。
その意味で、『ラッキー7』というアルバムは、
まさにこの世界が一枚のCDに凝縮されており、
トータルアルバムとして実によく出来ている。
なかでも、「渡良瀬橋」は「超」が付く名曲で、
キャリアを通して森高千里を代表する曲と言ってしまっていいだろう。*1
この曲が名曲なのは、
そのすべての要素が絶妙なバランスで混ざり合っているからだ。
森高の鼻にかかった声、安っぽいシンセ・ストリングス、
抑制の効いた感傷的な歌詞、
そして中学生が吹いているようなリコーダー・ソロ……。
この内のどれか一つがこれよりも上手くなってはいけないし、
これ以上甘ったるくなってもいけない。
その絶妙なバランスが、ぼくたちに深い感傷を引き起こす。
3分30秒間という長さもいい。
もう少しこの曲を聴いていたい……そこで終わることで、
この曲はリピーターを獲得した。
中毒性があるといってもいい。
だが、実は以上のことは松浦亜弥のカバーを聴いて理解したことである。
あややは森高よりも歌が上手い。
音程もしっかりしてるし、感情の込め方もわかりやすい。
安っぽいシンセ・ストリングスも本物のストリングスに換えられているようだ。
リコーダー・ソロもバンドサウンドと合わせてより丁寧に演奏されているように聞こえる。
だが……不思議なことにというか、残念なことにというか、
1曲全体を聴いたとき、音楽的なのは森高の方なのである。
これを森高「マジック」と表現して片付けるのはたやすい。
「ヘタうま」、「奇跡的な組み合わせ」などとして
先に進むことも可能だろう。
だが、ここには何か根本的な秘密があるようにも思う。
ぼくはこの違いをまだ「より音楽的か否か」としか表現できない。
オリジナルとカバー、技術・アレンジの巧拙―
―そうしたものとは違うところにある何か。
もしかしたら、これはぼくが音楽についてずっと考えてきたことに
関係があることなのかもしれない。
*2
それにしても、「渡良瀬」が、足尾鉱山の鉱毒汚染問題ではなく、
森高千里の名曲として記憶されることは幸福なのか不幸なのか……。
あと、あややの「渡良瀬橋」のPVもつくられたらしい。これも観てみたい。
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