『上京ものがたり』、西原理恵子、小学館、2004年

 西原の「叙情グループ」の作品。
「叙情グループ」というのはぼくが勝手にそう呼んでいるだけで、
『はれた日は学校をやすんで』や『ぼくんち』などの作品を指す。
その反対は「激情グループ」で、
『まあじゃんほうろうき』や『鳥頭紀行』など。


ぼくは『ぼくんち』で文字通り「頭を鈍器で殴られた」ようなショック
(ひどいクリシェだね、どうも)を受けて、
それから西原作品を色々と読み始めた読者だけど、
ぼくんち』と比べてみると、
この『上京ものがたり』は随分肩の力が抜けている。
社会の最底辺に位置する、
救いの無い人々の救いの無い生活が『ぼくんち』では描かれているけど、
あれはあの絵柄で、押しつけがましく描かれていなかったからこそ
成功した奇跡的な作品。
その姿勢があざとさを感じさせなくも無いけど、
他の描き方では全く別の作品になってしまう気がするので、あれでいい。
ぼくんち』はああ見えてとても繊細につくられているのだ…
…って、そんなこと皆気づいてるか。


この『上京ものがたり』には、『ぼくんち』の繊細さは感じられない。
でも、それが悪いわけじゃない。
肩の力が抜けてて、抵抗無く読むことが出来る。
それは多分、これが誰か相手を想定したメッセージだからだろう。
「相手」とは、恐らく「東京で一人暮らしをしている女の子たち」だ。
帯に書いてある通りだけど、その通りなんだから仕方がない。
で、面白く読んだけれど、
ぼくが深いところで共感できないところもきっとそこにある。
家に座敷犬が欲しいからどうしようもない男と同居してるとか、
高校の頃に昼ご飯誰とお弁当食べるんだろうという心配は
ぼくにはよくわからない。
仕事の絵・イラストの話で背伸びをして見栄をはったりする気持ちはよくかるけど。


ぼくがサイバラの漫画でドキッとするのは、例えばこんなところ。

売れてる先輩達は かっこよくて 話がおもしろくて
売れてない先輩の話は 悪口ばっかりで――

(お前 本当最近 悪口ばっかだなー)
夜の仕事が終わって、家に帰ると、
酒をあおってずっと店と客の悪口。
彼にそれをゆわれてさらにおこりはじめる私。
毎日毎日朝方まで私の悪口きいてくれてたんだなあ。
ありがとうだったんだなあ。帰り道気づいた。

出版社で女の子が わんわんわんわん 泣いていた。
どうしたのと聞くと

やっと連載できたのに
お父さんガンで入院してて
私のまんがたのしみにしてるのに
連載5回目で次で終わりにしてくれって
約束は7回だったのに 全部出来てるのに。

ひどいね

でもわるいのはあんただよ。
あんたがつまんないからわるいんだよ。
このくやしいの、
今度上手にかいてごらんよ。

そして最後の数ページには心を動かされてしまう。
すごいなあ、サイバラさんは、どんどん達者になっていく。
サイバラさんの漫画には、人が生きていく上で大事なものが描かれている。
表立って言葉で表現されることはないかもしれないけど、
むしろそこがすごいところだ。
いま、読み直してそう思った。
『女の子ものがたり』『毎日かあさん』も読もうかな。


上京ものがたり

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