『昭和が明るかった頃』、関川夏央、文藝春秋、二〇〇二

昭和が明るかった頃

昭和が明るかった頃

石原裕次郎がいて、吉永小百合がいた。そして日活という映画会社があった-。映画が最も輝いていた60年代前半、日本人はスクリーンとスター達に「夢」を見ていた。映画をテクストに戦後の一時代を検証する。(「MARC」データベースより)

吉永小百合は大女優と言われながら、
代表作というと『キューポラのある街』くらいしか名前が挙がらないのを不思議に思ってた
(実際、わたしも昔の映画で観たのは『キューポラのある街』だけだし)。
その理由は、作者によると
戦後民主主義という思想に対して、あまりに優等生過ぎたから」らしい。
なるほど。
キレイだし、言ってることは正しいんだけど、見てて痛々しいタイプってことなのかな。

1964年
東京オリンピックの年。東海道新幹線も開業し、「オリンピック景気」で日本は高い経済成長率
(翌1965年は前年の過剰投資から成長率が鈍化し、いわゆるオリンピック不況に見舞われる)。
この年を最後の抵抗線として日活の業績は急速に下降した。
→ 1971年、「ロマンポルノ」路線に転換。

それにしても、若いうちから女優業で一家の家計を支えたり、
実家のタンスにファンの暴漢が忍び込んだり、
結婚時のゴタゴタで両親と絶縁状態になったりと、
吉永小百合は大変な人生を送ってる人だな。