「目的語に人/物をとる」という区別、「コロケーションの自然/不自然」、大学受験時代から副業として翻訳をやっていた時代には死ぬほど調べました。
相談して
アドバイスの文言に使われる決まり文句に「…とよく相談して」があります。相談する相手は当然「人」ですが、「物」にも使います。その代表は「財布と相談して」でしょうか。次のような例もあります。
ピンク系で色の濃い方は、オリーブやアッシュ系、グレージュが映えます。どんな種類の茶髪にしようか迷ったら、自分の肌の色とよく相談して似合うカラーを探してみてくださいね。(Noel)
このような、「<人以外>と相談する」の例を載せているのは手元の国語辞典だけでは新明解国語辞典だけで、次を例に挙げています。
値段と相談だ(=値段次第の話だ)
確かに、「主語/目的語に人/物をとる」という区別、日本語ではあまり気にしませんね。広辞苑を調べてもそこまで細かい用法は挙がっていないような。
ここで考えられるのは以下の可能性。
(1) 日本語は、こういう区別があまりない
(2) 日本語研究が進んでいない
(3) 英語研究が進みすぎている
はじめは、(1)のように考えました。だって、明らかに普通は使わない用法でも、文脈で面白かったら、そういう用法も「アリ」じゃないですか。その意味で言うなら、日本語はこういう区別がゆるい言語なんだ、と。
でも、これって英語でもある話ですよね。特に日本語と同じように、おもしろエッセイなんかではよくある話です。だから、そういうわけでもないだろうな、と。
じゃあ、(2)「日本語研究が進んでいない」のかな、と。
これはわかりません。もしかしたら、日本語を外国語とする辞書の中では、こういう目的語についても細かく言及してある辞書があるのかもしれません。ただ、わたしは調べていないのでなんともいえません。
で、この方面に関しては、(3)「英語研究が進みすぎている」んだと思うんですよ。印欧語に特徴的な、目的語を取る/取らない、自動詞/他動詞の区別がある言語にとっては、こういう情報が必要なのでしょうね。
ただ、当然のことですが、だからといってこれは言語の優劣を示すものではありません。日本語には敬語という特異な文法があり、「相手に敬意を表す」場面においても、「相手を持ち上げる/自分を下げる」という使い分けがあり、さらに、それぞれにおいて強弱があるのですから。
それぞれの固有の文化/風習によって言語体系が影響を受ける。
おもしろいですね。