混浴

「かの娘 来たので湯屋が われるよう」なんてのもあったようですね。

 

混浴

 寛政三年(1791年)正月、松平定信が混浴を禁じたが、「やめるように」くらいのゆるい令だったので効果は推して知るべし。その後、市井の男女混浴が禁止されたのは天保改革(1841年)以後。ちなみに混浴 は「入込み湯」と言った。

入込みは ぬきみはまぐり ごったなり

(暉峻康隆『日本人の笑い』

 

日本人の笑い (文春文庫 (343‐1))

日本人の笑い (文春文庫 (343‐1))

 

 

こんな有様であったから、明治18年(1885年)の警察令が出て庶民のオアシスはお取り上げ。お上の命じるナントカ令はいつも野暮。

 

言わずもがなですが、ここでの「ぬきみ」はアレのことで、「はまぐり」はアレのことです。天保の改革でも、仕切り板が付いた程度だったみたいです。