本名は田沼則子。親が孔子や老子にあやかって「則子(ただし)」と命名。女子だと勘違いされ、徴兵検査の通知が届いたときは終戦間近で兵隊に行かずに済んだという。
―― 何と言う行幸、親の知恵!
三木鶏郎楽団に売り込みに行き、「のりこ」と間違えられるので芸名をつけてくださいと頼んだ。「じゃ、のり平はどうだろう」ということで三木のり平が誕生したという。
―― なんというお手軽さ!
その三木鶏郎は、当時アメリカで人気のミッキーマウスから三木をとり、NHKに3人で初出演したので、トリオをもじって鶏郎とした。(『永六輔の伝言』から)
―― たしか、鶏郎さんは英語ができたのだった。
また、三木のり平は、ある舞台で自分の役名を忘れてしまった。とっさの思いつきで。胸のポケットに入っていた紙切れを取り出し、「私こういう者です」と相手に差し出した。相手は苦境を知ってか知らずか、「なんてお読みするのですか」
―― やだね、こういう同僚。
こういったエピソードはどうもあとから作ったようでうさん臭い。が、だからこそ面白い。