人との親交は、楽しくもあり、疎ましくもあり。
人と交わるにせよ、遠ざけるにせよ、その選択に後悔のないように。
最近は、そう考えて生きています。
葬式
銀座のバーのマダムがひっそり自ら死を選んだ。その葬儀に訪れた白洲正子は、
和やかな葬儀であった。義理で現れたものは一人もいない。私は、葬式というものが、親類縁者にとっておこなわれるものでないことをはじめて知った。
と哀悼している。
私は生前の親密すぎる付き合いの故に、更に、とうとう解消できない軋轢から自分を解き放せなかったゆえに、葬儀には行けなかった人がいる。
敬愛する四方田犬彦先生の著作に、まさにその濃密すぎる関係ゆえ、その死によるきれいな別れができなかったことを後悔する本があります。
この場合は師弟関係。
大学時代の師、由良君美氏とのわだかまりが延々と書き綴られている本です。
この本は一種の精神分析、セルフカウンセリングによる治療の成果物です。
四方田先生にとって、この本を書くことは辛い作業だったことでしょう。
………でも、他人からみると、「え? そんなこと?」と感じてしまう箇所も無きにしもあらず。人間関係に限らず、悩みにはそういうところがあります。四方田先生の人間的な一面が見れたのは嬉しいような、恥ずかしいような……ごめんなさい、『ハイスクール1968』や『歳月の鉛』のような自叙伝の諸著作は、いろいろな意味で読んでて辛かったです。