循環論法、というやつですね。
桃太郎の理屈
桃太郎に征伐された鬼は恐る恐る桃太郎へ尋ねます。
「わたしどもはあなた様に何か無礼でも致した為、御征伐を受けたことと存じております。しかし実はわたくしを始め、鬼ケ島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ。就いてはその無礼の次第をお明かし下さる訳には参りますまいか?」
鬼のこの態度はまったく紳士的で、言葉には一点のうそもありません。これに対して桃太郎は、
「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えた故、鬼ケ島に征伐に来たのだ。」
と返答します。
「ではそのお三かたをお召し抱えになすったのはどういう訳でございますか」
と食い下がる鬼は、理路整然としています。桃太郎答えて曰く、
「それはもとより鬼ケ島を征伐したいと志した故、黍(きび)団子をやって召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
このような出口のない理屈を「桃太郎の理屈」といいます。「好きだから好き」という女の理屈よりも始末が悪い。さて、桃太郎はなぜ鬼の征伐を思い立ったのか。その経緯とこの話しの出典は芥川龍之介『桃太郎』。
このメビウスの輪のような理屈は政治家が得意としています。毎年8月6日に原爆死没者慰霊式典・平和記念式が開催されます。2010年にジョン・ルース駐日米大使が出席することになりました。クローリー米国務次官補は「第2次世界大戦のすべての犠牲者に敬意を払う」と述べ、1998年(平成10年)以降参列を呼び掛けてきて初めての出席について、その理由を問われ「適切な時期に示す適切なジェスチャーだと判断した」と答えました。(京都新聞 2010/7/30 ②)
これも桃太郎の論理です。「なぜ適切な時期だと判断したのですか」「判断したのが適切な時期だったからだ」とわけの分かったようでやはり分からないリクツです。
この屁理屈の堂々巡りを実際に、国会の場で披露したのが小泉純一郎元首相。例の「非戦闘地域」です。2004年10月11日 国家基本政策委員会合同審査会の議事録から。民主党の岡田克也氏とのやりとり。
岡田 「総理はサマワは非戦闘地域であると、こういうふうに言われました。非戦闘地域であるという、断言されたその根拠は何なんでしょうか」
小泉 「根拠といえば、戦闘が行われていないということ、だからこそ非戦闘地域である」
岡田 「じゃ、総理、お尋ねしますが、その議論の前提としてイラク特措法における非戦闘地域の定義を言ってください」
小泉 「イラク特措法に関して言うと、法律上、いうことになればですね、自衛隊が活動している地域は非戦闘地域なんです」
論理学のことはウトイのでイライラするばかりですが、このような物言いをぎゃふんと言わせるセリフもきちんとあるのではないでしょうか。
これ、言ってる本人も矛盾に気づいていない場合があります。その場合は、ゆっくりとロジックを追って説明すれば納得してもらえる場合もあったり。
ただ、もちろん上記の政治家たちはこれが循環論法であることを自覚しているのでしょう。これはいかんともしがたい。「循環してますね」と言い捨てて、その場を去るしかないのでしょう。困ったなあ。