文楽か志ん生か

文楽の「潔さ」と、志ん生の「たくましさ」。

これはいい話を聞きました。

 

文楽志ん生

人は窮地に陥った時、どのようにして切り抜けるか。潔く身を引くか、あくまでその窮地の打開策を模索するか。

落語家の八代目桂文楽は高座で『大佛餅』を演じていたとき、神谷幸右衛門の名が出てこなかったために高座を去ったという。

志ん生は『お直し』で吉原開設の惣名主庄司甚内を、平賀源内と言い間違えて、「そのお侍さんの名前はってえと……」としばし口を閉じていたが、「ううン、どうでもいい名前」と言って切り抜けたという。

かつての若い頃の私は、文楽の潔さを見習いたいと考えていたが、現在の心境としては志ん生の穏やかな機転を身に着けたいと思っている。

 

 

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(八代目桂文楽、1892-1971)

 

 

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(五代目古今亭志ん生、1890-1973)

 

理想は志ん生のように、しなやかに、たくましく切り抜けていくのが理想ですが、それを目指すには、わたしはまだまだ若すぎます。というよりも、文楽のような姿勢で毎日を生き抜くことで、志ん生のたくましさが身につくのではないでしょうか。

先人が示した生きる姿勢。

勉強になりました。 

 

大仏餅。袴着の祝。新まへの盲目乞食

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五代目 古今亭志ん生(20)お直し/庚申侍

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